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津山商工会議所 所報1月号『今月の経営コラム』
潮流を読む
「地方自治体のガバナンスを左右する総合計画」
前回のコラム「どうすれば地方自治体のガバナンスを強化できるか」では、地方自治体の統治の問題に触れ、「ガバメント」と「ガバナンス」の違いに触れた。前者は「国の統治、地方の自治そのものを意味する」とし、後者は「国の統治、地方自治を担う関係者がその相互作用や意思決定により、社会規範や制度を形成し、強化して、再構成していくことを意味する」とした。しかし、長年にわたる「ガバメント型」の統治から「ガバナンス型」に移行するには、中長期の視点と取り組みが必要である。そこで、企業の中長期経営計画に当たる、10年先を見据えた行政運営の最上位計画である「総合計画」が非常に重要だ。
地方自治体の総合計画[注1]とは、行政運営の最上位計画であるとともに、通常、社会・経済環境の急激な変化に対応する内容を盛り込んだ計画である。さらに、住民や事業者、行政が将来の施策目標を共有し、具体的な行動指針を示す役割を持つ。まさに前記の「ガバナンス型」の統治に最適であると考えられる。総合計画の構成は、一般的に、(1)基本構想、(2)基本計画、(3)実施計画である。その策定では、住民参加が重視されている。例えば、パブリックコメントや説明会を通じて住民から多様な意見を収集し、それを草案に反映する。また、地方自治体が直面する教育、健康・福祉、防災などの政策課題の専門家による諮問機関(総合計画審議会)が設立され、1年程度かけて基本計画を審議する。これらのように、行政が中心となり、住民、事業者を含む専門家など多様な当事者が参加して、情報を共有しながら、今後10年という長期の基本計画が策定されていく過程は、中長期の「ガバナンス型」統治を適切に形成、強化していくことにつながると考えられる。
筆者は、静岡県袋井市の総合計画審議会で、産業経済担当の委員として基本計画の審議に参画した。同市は東海道五十三次のちょうど中間に位置する旧宿場町である。審議会は、2024年6月から計11回にわたり開催された。審議の仕方は工夫が施され、袋井市のSWOT分析[注2]によるグループ討議、ワークショップを交えた専門的かつ集中的な審議などを実施し、市役所の職員も含めて、活発な議論がなされた。25年10月29日に総合計画の基本構想の中にある「まちの将来像『にぎわい ずっと続くまち ふくろい』」の実現に向けた施策の方向性や行政経営方針などを定める基本計画を取りまとめ、大場市長に答申書を提出した[注3]。
同市の総合計画の内容を見ると、基本構想は前記の「まちの将来像」と三つの「まちづくりの基本」からなる。基本計画は「施策別計画」「基盤」で構成される。「施策別計画」は9の「政策」(「こども家庭」「教育」「健康・福祉」「都市・環境」「建設保全」「産業経済」「文化・観光・スポーツ」「市民生活」「危機管理」)、24の「取組」、78の「基本方針」で成り立っている。中長期のガバナンス強化で鍵となるのが「基盤」、つまり「行政経営方針」である。「多様な主体と共に創る 持続可能な行政経営」を行政経営の基本理念に据え、今後の社会・経済環境の急激な変化に対応するための「経営資源の強化・最適化」「変化に挑む行政経営」の二つの視点から行政改革を進める方針を示している。
総合計画の中に「基盤」改革=行政改革が埋め込まれていることで、施策を実施する上で中長期のガバナンス強化の有効性を高めていく姿勢は評価できるのではないか。
(2025年11月20日執筆)
[注1]さかのぼれば1969年地方自治法改正以来、大部分の市町村が策定。2011年5月の同法改正を受けて法律上、策定する義務はなくなったが、それ以降も自主的に多くの地方自治体が策定。
[注2]一般的には企業の内部環境と外部環境をStrength=「強み」、Weakness=「弱み」、Opportunity=「機会」、Threat=「脅威」の四つの要素で分析するフレームワーク。袋井市では10年後を見据えて同分析をグループ討議で実施し、その後全体討議でグループ別に発表。
[注3]袋井市総合計画「基本計画」答申
https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/material/files/group/135/yarama436.pdf
著者プロフィール ◇内野 逸勢/うちの・はやなり

静岡県出身。1990年慶応義塾大学法学部卒業。大和総研入社。企業調査部、経営コンサルティング部、大蔵省財政金融研究所(1998~2000年)出向などを経て現職(金融調査部 主席研究員)。専門は金融・資本市場、金融機関経営、地域経済、グローバルガバナンスなど。主な著書・論文に『地銀の次世代ビジネスモデル』2020年5月、共著(主著)、『FinTechと金融の未来~10年後に価値のある金融ビジネスとは何か?~』2018年4月、共著(主著)、『JAL再生 高収益企業への転換』日本経済新聞出版、2013年1月、共著。「第3次袋井市総合計画」審議会委員。IAASB CAG(国際監査・保証基準審議会 諮問・助言グループ)委員(2005~2014年)。日本証券経済研究所「証券業界とフィンテックに関する研究会」(2017年)。
中小企業のためのDX事例
「ユーザー起点で磨いたデジタル防犯アクセサリー」
今回は、夜道の不安という生活課題をデジタル技術で再定義した防犯アクセサリー開発の事例です。東京都千代田区にあるYolni(ヨルニ)株式会社は、「夜道の不安をなくす」ことを掲げ、スマートフォンと連携する防犯アクセサリーを開発しています。
同社がまず行ったのは「夜道の不安の本当の課題はどこか」を徹底的に見極めることでした。ユーザーへの聞き取りから、多くの人が「被害に遭った時、いきなり警察に連絡するより、まず家族や友人に知らせたい」と感じていることや、「後ろからついてこられた時に、着信が鳴ったふりをしたら相手が離れた」といった行動パターンが見えてきました。
そこから、「怖いから持つ防犯グッズ」ではなく「夜を前向きに楽しむアクセサリー」というコンセプトが生まれました。本体を握るとスマートフォンから着信が鳴る、ピンを引くと家族や友人に位置情報付きで知らせるといった、一連の行動を支えるデジタル体験が設計されています。
こうした明確な課題認識は、長年の試行錯誤の積み重ねによって育まれました。2016年の通信モジュールを使ったコンテストを起点に、通信方式やセンサーの変化に対応しながら、多くの試作品をつくり続けてきました。
筐体(きょうたい)を3Dプリンターで何度も出力し、スイッチの押しやすさや電池交換のしやすさと、デザイン性の両立を検証し、量産時のコストも繰り返し試算しました。会社の哲学を言語化して共有し、毎週の議論を通じてぶれない軸を持ち続けたことも、製品の成熟に大きく寄与しています。
中小企業のDXの視点で見ると、同社のポイントは三つあります。第一に、技術的な実現方法ではなく、「どんな夜を過ごしたいのか」というユーザーの物語から逆算して課題を細かく分解したことです。第二に、ハードとアプリを行き来しながら、小さな仕様変更や検証のサイクルを高速に回し続け、机上では分からない使い勝手を一つずつ磨き込んだことです。第三に、自社の哲学をよりどころに、短期的な売り上げよりも長期の価値提供を優先し、機能追加やコスト設計を段階的に見直してきたことです。
この9年間の歩みは、リソースの限られた中小企業でも、ユーザーに寄り添ったDXを実現できることを示しているといえます。
(この事例は筆者取材時のものであり、現在では異なる場合があります)
著者プロフィール ◇大川 真史/おおかわ・まさし

ウイングアーク1st データのじかん 主筆。IT企業を経て三菱総合研究所に12年間在籍し、2018年から現職。デジタル化による産業構造転換や中小企業のデジタル化に関する情報発信・事例調査が主な業務。社外活動として、東京商工会議所ものづくり人材育成専門家WG座長、特許庁I-OPEN専門家、ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会中堅中小AG副主査、サービス創新研究所副所長など。リアクタージャパン、Garage Sumida研究所、Factory Art Museum TOYAMA、ハタケホットケなどを兼務。経団連、経済同友会、経産省、日本商工会議所、各地商工会議所・自治体での講演、新聞・雑誌の寄稿多数。近著『アイデアをカタチにする!M5Stack入門&実践ガイド』。
日本史のトビラ
「ハワイの日系人」
今夏、14年ぶりにハワイのオアフ島に観光で訪れた。飛行機で降り立ったホノルル国際空港だが、正式名称を「ダニエル・K・イノウエ国際空港」と変更していた。ハワイ生まれの日系2世の名を冠したものである。イノウエは50年にわたって上院議員を務め、オバマ元大統領にも「この人がいなかったら私は公職に就かなかった」と言わしめた人だ。
1941年12月7日(ハワイ時間)、日本海軍が突然、ハワイの真珠湾基地に襲来し、太平洋戦争が勃発した。当時のハワイには、サトウキビ農園に出稼ぎに来た日本人移民が定着し、ハワイ社会における日系人の割合は4割近くに達していた。
ところが戦争の勃発により、敵国民とその子孫として憎まれ、アメリカ本土にいる12万の日系人は強制収容所に送られてしまう。だが、ハワイの日系人たちは、指導者以外は移送されなかった。強制収容してしまったら、人数が多いのでハワイ社会がまひしてしまうからだ。そうした中、ハワイ生まれの日系2世たちは、自分がアメリカ国民であることを証明するため、続々と兵士に志願していった。こうしてハワイに日系2世で構成された第100歩兵大隊が生まれ、本土の第442連隊(日系部隊)に編入されてヨーロッパ戦線に投入された。
彼らは「Go For Broke(当たって砕けろ)」を合い言葉に、すさまじい戦いぶりを見せた。戦死者・負傷者は数知れず、パープル・ハート部隊という異名を得た。負傷兵にはハート形の勲章が授与されるからだ。信じ難いのは、兵の数より負傷者が多いことである。これは、1人で何度も負傷したことを意味する。病院からの脱走も数多く報告されている。抜け出して戦場へ勝手に戻ってしまうのだ。日系部隊の活躍として有名なのは、ドイツ勢力内に取り残されたテキサス大隊約200人の救出である。この任務のために日系人兵士184人が戦死し、その数倍が負傷した。救出部隊と同じ数の犠牲者を出したわけだ。かくして日系人部隊はアメリカ史上、最も多く勲章を受けた部隊となった。
1946年、442連隊はトルーマン大統領から7回目の感謝状を受け取った。その際大統領は「諸君は世界の自由のために戦った。(略)敵と戦っただけでなく、偏見に対しても戦った。そして勝った。その闘いを続けよ。(略)勝ち続けよ。この偉大な共和国が、その憲法のいうとおり『すべての人びとの幸福をすべての時に』を堅持する国になるように」(『真珠湾と日系人』西山千著/サイマル出版会)、そうたたえた。
こうした涙ぐましい努力の末、ハワイの日系人は、アメリカで社会的信用を取り戻したのだ。ダニエル・K・イノウエは、そんな第100歩兵大隊に属し、片腕を失いながら英雄的な活躍をした日系人部隊のリーダーの1人である。
著者プロフィール ◇河合 敦/かわい・あつし

東京都町田市生まれ。1989年青山学院大学卒業、2005年早稲田大学大学院修士課程修了、11年同大学院博士課程(教育学研究科社会科教育専攻(日本史))満期退学。27年間の高校教師を経て、現在、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。講演会や執筆活動、テレビで日本史を解説するとともに、NHK時代劇の古文書考証、時代考証を行う。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)など受賞。著書に『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新聞出版)、『禁断の江戸史』(扶桑社)ほか多数。
トレンド通信
「能登が教えてくれる持続的情報発信の大切さ」
先日、能登半島の輪島市を訪ねてきました。2024年1月1日の地震と同年9月の豪雨で大きな被害を受けました。地震発生からもうすぐ2年がたつというのに、金沢から能登に向かう自動車道「のと里山海道」は、まだまだ工事箇所が多く、上下合わせて1車線しか開通しておらず、片側通行になっている場所がいくつもありました。
輪島市内に入っても、そこかしこに傾いたままの電柱が目に付き、崩壊の危険があっても手を付けられず放置された家屋も多数見られました。能登半島で屈指の観光地だった輪島朝市が開かれていた場所は、火災もあり大きな被害を受けましたが、その一帯の建物やがれきは全て撤去され、わずかに草が生えるだけの更地になっていました。中心を貫く道の脇に数本残された街灯に往時の面影が少し残っています。現在は改めて最新の建築基準で区画割りを引き直し、ようやく再興に向けたスタートを切ろうとしている段階です。
輪島市郊外の景勝地で、世界農業遺産「能登の里山里海」の象徴でもある白米千枚田は地震による地滑りや豪雨の影響が深く残り、ようやく一部が再生されて利用が始まったところです。1004枚の水田のうち再生されたのは250枚程度とのことでした。
恥ずかしながら、実際に足を運んでみるまで、その甚大な被害の状況と復興にまだまだ時間がかかる実情は知りませんでした。ニュースなどで情報発信をするのは主にメディアの仕事ですが、発生から時間がたった被災地を報道で取り上げるときには、どうしても復興に向けて前向きに動き出した部分に注目して伝えようとします。そのため、報じられる情報は、結果として良い動きの部分だけが切り取られ、ともすれば明るい話題ばかりが伝えられることになってしまいます。以前メディアにいた人間として自戒を込めて言いますが、こうした事情を踏まえて、被災地から発信される情報については受け取る側が感度を高め、聞こえてくるニュースの背後にある実態とそこに暮らす人たちの気持ちに思いをはせる必要があると思います。能登の事例は、あふれる情報に囲まれて私たちが日々情報を消費していることを教えてくれました。これは現代の暮らしでは避けて通れないのかもしれません。逆に、情報を発信する立場になって考えると、どんな小さなことでも持続的に情報を発信することの大切さを改めて感じました。
私事ですが、今回、輪島を訪問したことをきっかけに、輪島塗の箸を家族の分も含め、新しく購入しました。実はそれまでも輪島塗の箸を使っていましたが、改めて日常の中で、能登のことを意識するためです。これはマーケティングの観点でいえば、生産地を応援したいというエシカルな消費行動でもありますし、モノを通じたエンゲージメント(絆)づくりとして、地域発の製品自体が情報発信に一役買っている例だともいえます。
現実を見れば、能登が普通の生活環境を取り戻すだけでもまだ何年もかかると感じます。その間、一人の消費者としても持続的に応援し続けたいと思います。
著者プロフィール ◇渡辺 和博/わたなべ・かずひろ

合同会社ヒナニモ代表。1986年筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年日本経済新聞社入社。IT分野、経営分野、コンシューマ分野の専門誌の編集を担当。その後、日経BP 総合研究所 上席研究員を経て、2025年4月から現職。全国の自治体・商工会議所などで地域活性化や名産品開発のコンサルティング、講演を実施。消費者起点をテーマにヒット商品育成を支援している。著書に『地方発ヒットを生む 逆算発想のものづくり』(日経BP社)。
気象予報士×税理士 藤富郷のクラウドな話
「冬のイルミネーションは青色が輝く」
イルミネーションが美しい季節になりました。色とりどりの光があって、それぞれに表現も豊かですね。皆さんは何色のイルミネーションが好きでしょうか? 私は青色が好みなのですが、毎年ブルーの光で木々がキラキラと輝く、地元の公園がお気に入りのスポットになっています。
冬は青色ライトが特に映える季節で、「寒さ」や「静けさ」「寂しさ」という季節感が、青色の透明感とマッチして心に伝わってきます。ただ、伝わってくるのは感覚的なものだけでなく、実は、天気も関係しています。
冬の天気の特徴である「西高東低」の気圧配置では、太平洋側は冬晴れで北風が吹き、下降気流となります。ちりやほこりが舞い上がりにくく、遠くまで見通しが良くなります。空気も乾燥しており、澄んだ空が広がるわけです。そうなると、光の散乱が抑えられて、波長の短い青い光もしっかりと届くことになります。つまり、澄み切った冬晴れは、夏よりも青い光が感じられるようになります。
一方、日本海側の雪の中でも、青色のイルミネーションは印象的に映ります。雪の結晶は、波長の長い赤い光を吸収しやすく、雪の中を通り抜ける間に赤は弱まっていきます。一方で、吸収されにくい青い光は強調されます。氷河が青っぽく見える原理と同じです。雪の中で青い光は柔らかく広がり、冷たさや静寂感とマッチして幻想的な風景となります。もともと雪は反射率も高いので、光は2倍から3倍にも広がっていくことになります。
そして、もう一つ面白い現象があります。それは「プルキンエ現象」といって、人の目は暗くなるほど青色が見えやすくなるというものです。暗闇の青い光は、境界もくっきりと見えるようになります。暗くなる時間が早い冬は、仕事帰りの時間帯に青いイルミネーションがひときわ奇麗に見えてきます。
このように青い光が際立つ冬の天気ですが、冬の強い風も一役買っています。風が強いと、空気の密度の差ができて光の屈折率が変わります。光が揺らいでキラキラと瞬いて見えることで、冬の青い光がより印象的になるわけです。
冬に輝く青いイルミネーションが好きなのは、季節や天気、人の特性や心の動きといった要素に、自然と寄り添っていたからなのかもしれません。青色LEDが普及したことで、イルミネーションもさまざまな色が楽しめるようになりました。この冬は、光の色に着目して、各地の光の祭典を楽しんでみるのもいいですね。
著者プロフィール ◇藤富 郷/ふじとみ・ごう

気象予報士、税理士。埼玉県三郷市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修了。大学院在学中に気象予報士に登録。日本テレビの情報番組に気象キャスターとして出演しながら税理士試験に合格し、2016年に開業。21年に越谷税務署長表彰受賞。趣味の鉄道では、鉄道イベント出演や時刻表、鉄道模型雑誌にコラムを寄稿。プログラミングやダムにも造詣が深く、”複業”として得意を組み合わせて幅広く活躍中。地元の「三郷市PR大使」を務めるなど、地域との関わりも深めている。
