お知らせ

2025年12月26日

津山商工会議所 所報2月号『今月の経営コラム』

潮流を読む

「地方自治体の”賢い歳出”の重要性の高まり」

 

 前回のコラム「地方自治体のガバナンスを左右する総合計画」では、地方自治体の中長期のガバナンスを考える上でも、10年先を見据えた行政運営の最上位計画である「総合計画」が非常に重要であることに触れた。今回は、人口8万人程度の静岡県袋井市の総合計画の内容に踏み込み、実際の策定における具体的な課題、工夫、そのメリットを述べていく。
 

 改めて地方自治体の総合計画とは、通常、社会・経済環境の急激な変化に対応する内容を盛り込んだ計画である。このため、総合計画の策定において、まずは当事者である住民や事業者、行政が、将来見込まれる社会・経済環境の急激な変化について、認識を合わせることが重要な課題として挙げられる。特に注意を要することは、”右肩上がり”の社会・経済構造に慣れ親しんだ結果、財政の健全性を損なうような財政拡大の感覚が多く残っていることである。実際には、今後を見据えると、”右肩下がり”であり、急激な少子高齢化による人口減少とともに事業者・企業の減少は税収の減少につながり、歳入が減少していく。総論では、歳入が減ることを認識しながらも、個々の政策を議論するときには歳出に焦点が当たりがちである。このような財政拡大中心の議論を回避して、必要性と効果が高い政策に予算を投じる”賢い歳出”を意識することが重要である。
 

 次に、総合計画の策定において、国レベルでは対象となるヒト・モノ・カネの範囲が大き過ぎて検証が難しい”賢い歳出”は、市町村レベルでは具体的な検証ができる可能性があるが、その検証の仕方に課題がある。つまり、教育、健康・福祉、産業経済などの施策別の計画の政策において、それらの「取組」、取り組む上での「基本方針」を、KPI(重要業績評価指標)を含めて丁寧に設定していく必要がある。
 

 袋井市の総合計画[注1]の政策を見ていくと、「施策別計画」の9の「政策」は、「こども家庭」「教育」「健康・福祉」「都市・環境」「建設保全」「産業経済」「文化・観光・スポーツ」「市民生活」「危機管理」である。それらに全部で24の「取組」、78の「基本方針」があり、その達成度合いを測定するKPIが100以上設定されている。総合計画の策定過程では、これらKPIの(1)具体性、(2)測定可能性、(3)達成可能性、(4)全体の目標との関連性、(5)10年という期限内での評価の是非についても議論された。当然ながらKPIには個々の政策の成果に対する市民の満足度も含まれる。これによって、個々の政策についてKPIによる評価の精度が高まり、各政策の成果の具体性を可能な限り高めた。単に九つの政策の優先順位を決定していくのでは限界があるため、より具体的に個々の政策でのKPIの評価に基づく施策の優先順位を決定したのである。当然ながらこれらのKPIは総合計画の実行において見直されていくこととなる。
 

 このような策定過程を踏まえれば、総合計画の個々の政策において、これまでの常識とされてきた歳出の考え方を、これまで以上により具体的に見直すことができるはずだ。例えば、危機管理にはインフラ整備というハード面の強化に対する膨大な歳出が常識であったが、テクノロジーを活用した住民参加型のソフト面の強化という歳出を抑える考え方にシフトすることが可能となろう。このような丁寧な総合計画の策定は、表面的に人気を集めやすいアイデア先行で具体性の欠ける政策の議論の回避にも有効であろう。
 

 経済対策、物価対策など、いわゆる国が”トップダウン”で行う政策における”賢い歳出”は重要である。一方、前記のような地方自治体の総合計画の政策の実施は、いわゆる”ボトムアップ”の”賢い歳出”につながりやすく、地方によって直面する課題がより画一的ではなくなる中で、今後重要性がますます高まるのではないか。

 

(2025年12月8日執筆)

[注1]袋井市総合計画「基本計画」答申

 https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/material/files/group/135/yarama436.pdf

 

 

著者プロフィール ◇内野 逸勢/うちの・はやなり

 

静岡県出身。1990年慶応義塾大学法学部卒業。大和総研入社。企業調査部、経営コンサルティング部、大蔵省財政金融研究所(1998~2000年)出向などを経て現職(金融調査部 主席研究員)。専門は金融・資本市場、金融機関経営、地域経済、グローバルガバナンスなど。主な著書・論文に『地銀の次世代ビジネスモデル』2020年5月、共著(主著)、『FinTechと金融の未来~10年後に価値のある金融ビジネスとは何か?~』2018年4月、共著(主著)、『JAL再生 高収益企業への転換』日本経済新聞出版、2013年1月、共著。「第3次袋井市総合計画」審議会委員。IAASB CAG(国際監査・保証基準審議会 諮問・助言グループ)委員(2005~2014年)。日本証券経済研究所「証券業界とフィンテックに関する研究会」(2017年)。

 


 

中小企業のためのDX事例

「作業ログ見える化で設備稼働27%アップの工場事例」

 

 今回は、現場の作業ログをデジタル化して進捗(しんちょく)と負荷を見える化し、限られた設備の稼働時間をぐっと押し上げた事例です。東京都羽村市にある杉並電機株式会社は、電子機器向けコネクタの金属端子を少人数で大量生産する精密プレスメーカーです。
 

 数年前まで社内では「どの仕事が先か分からない」「昨日のトラブルがまだ尾を引いている」といったモヤモヤが積み重なり、職場の空気を重くしていました。
 

 そこで同社は、最新IoTで機械から大量のデータを集めるのではなく、生産現場の担当者を起点にデータを集めて可視化する”IoP(Internet of People)”のシステム化に着手しました。各工程に開始・終了ボタンを用意し、押すだけで担当者や品番、使用機械が社内のウェブシステムに登録されます。データは色分けされ、工場の壁に設置したプロジェクターに映し出されます。どの機械が詰まりそうか、どこに応援を回せばよいかが一目で分かるようになりました。
 

 入力定着のために、作業開始時間の早さを競うイベント「SP杯」を行いました。この企画を通じて「作業開始ボタンを必ず押す」習慣をゲーム感覚で根付かせました。その結果、設備稼働時間も27%増加し、「次に何が来るか事前に分かる」「困ったときに助けを頼みやすくなった」という声が現場から上がりました。
 

 その後、市販の小型IoTデバイスを使い、状態変化が自動でクラウド上の表に飛ぶ仕組みを社内で開発したり、検査・修理室に大型モニターを設置して現場とさまざまな情報を共有できるようにしたりしました。さらに社員向けにIoTの開発体験会を実施し、現場がデジタル化の中心であるという認識を浸透させました。
 

 社長は、これらの取り組みを「生の情報をそのまま皆で共有する仕組み」と表現します。解釈を加えずタイムラインで見せることで、現場が自律的に判断しやすくなり、従業員体験の向上にもつながったと感じているそうです。大がかりなシステム導入ではなく、身近なツールの組み合わせから始めた点は、多くの中小企業にとっても参考になります。まずは「誰の、どんなモヤモヤを解消したいのか」を起点に、現場の人が参加しやすい小さなDXから着手することが、継続するデジタル化の近道だといえるでしょう。

 

(この事例は筆者取材時のものであり、現在では異なる場合があります)

 

著者プロフィール ◇大川 真史/おおかわ・まさし

 ウイングアーク1st データのじかん 主筆。IT企業を経て三菱総合研究所に12年間在籍し、2018年から現職。デジタル化による産業構造転換や中小企業のデジタル化に関する情報発信・事例調査が主な業務。社外活動として、東京商工会議所ものづくり人材育成専門家WG座長、特許庁I-OPEN専門家、ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会中堅中小AG副主査、サービス創新研究所副所長など。リアクタージャパン、Garage Sumida研究所、Factory Art Museum TOYAMA、ハタケホットケなどを兼務。経団連、経済同友会、経産省、日本商工会議所、各地商工会議所・自治体での講演、新聞・雑誌の寄稿多数。近著『アイデアをカタチにする!M5Stack入門&実践ガイド』。

 


 

日本史のトビラ

「改易された領地を取り戻した立花宗茂」

 

 柳川城主の立花宗茂は、関ケ原合戦で西軍方に身を投じ、領地を全て没収された。その後、宗茂は旧臣たちを熊本城主の加藤清正に預け、わずかな供回りを連れて上方へ上り、家康に御家再興を願った。だが、何年たっても良い返事をもらえず、立花家臣のほとんどは、他家へと仕官してしまった。
 

 しかし宗茂は御家の再興を諦めず、徳川にアプローチし続けた。さらに、余暇を利用して、弓術や禅の修行に励み、連歌、茶道、香道、蹴鞠(けまり)にも磨きをかけた。慶長11(1606)年夏、家康はようやく宗茂に江戸へ下るよう命じた。
 

 宗茂が将軍秀忠に拝謁すると、その場で幕府の旗本に任じられ、5000石を与えられたのである。つまり宗茂は、徳川家に再就職することになったのである。秀忠は、智将の宗茂を大いに気に入り、間もなく5000石を加増し、棚倉(福島県棚倉町)で1万石の大名に復活させてやった。関ケ原合戦から足かけ6年の月日が過ぎていた。
 

 以後は秀忠の身辺警護などを担い、さらに慶長15(1610)年までに領地は3万石に増えていった。大坂夏の陣では将軍秀忠に近侍して参謀として活躍。そうした功績もあって、元和6(1620)年に何と、旧領柳川に復帰できたのである。石高は約11万石。3万石から一気に4倍に増え、関ケ原以前と同じ規模になったのだ。
 

 関ケ原合戦で改易された大名88家のうち、奪われた領地を自力で回復し、しかも旧領に配置された人物は、立花宗茂ただ一人だった。翌年2月、宗茂は20年ぶりに懐かしき柳川城に入った。城は前任の田中氏によって大規模改修されていたが、城下から眺める景色は昔のままだったはず。きっと宗茂は感無量だっただろう。
 

 晩年の宗茂は、3代将軍家光に慕われ、外出の際、家光は老齢の宗茂にたびたび供を命じるほどだった。しかもその智将ぶりを買われ、島原の乱が起こると、72歳の高齢だったが参謀として出陣している。そして4年後の寛永19(1642)年11月、宗茂は江戸において享年76歳の生涯を閉じた。当時としては、大往生だった。
 

 全ての領地を没収された宗茂が見事に旧領を取り戻せたのは、やはり諦めなかったからだろう。宗茂が大名に復帰するまで6年の歳月を要している。これは、全てをなくした宗茂にとって、非常に長い時間だっただろう。さらに旧領に戻るまで20年を費やした。どんなに文武に秀で、立派な人格者であっても、もし宗茂に粘り強さがなかったら、決して旧領には復帰できなかったはずだ。ただひたすらに耐えて待った宗茂、それゆえ、勝利の女神がほほ笑んだのであろう。
 

著者プロフィール ◇河合 敦/かわい・あつし

東京都町田市生まれ。1989年青山学院大学卒業、2005年早稲田大学大学院修士課程修了、11年同大学院博士課程(教育学研究科社会科教育専攻(日本史))満期退学。27年間の高校教師を経て、現在、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。講演会や執筆活動、テレビで日本史を解説するとともに、NHK時代劇の古文書考証、時代考証を行う。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)など受賞。著書に『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新聞出版)、『禁断の江戸史』(扶桑社)ほか多数。

 


 

トレンド通信

「『内輪受けマインド』に宿る危うさ」

 

 この1カ月に金沢と広島を2度ずつ訪れる機会がありました。ともに現在、全国的に見ても有数の活気ある地方都市の代表例といえそうです。北陸地方の中核都市である金沢は、北陸新幹線の金沢開業から10年たち、その後も駅に大規模な商業施設が次々とオープンしています。インバウンドや首都圏からの若い女性客の来訪で大変なにぎわいを見せています。週末だけでなく平日でも駅の商業施設には観光客があふれていました。施設内の人気飲食店には長い行列ができるほどでした。
 

 一方、中国地方の中核都市である広島も、JRの駅ビルの2階に、市内を走る路面電車が直接乗り入れるように改修されたことで、地域住民だけでなく多くのインバウンドを含む観光客にとっても利便性が大きく向上しています。
 

 金沢も広島も、駅周辺や中心市街地の都市開発・整備はまだ続いています。新たな商業施設やオフィスビル、高層住宅が生まれ、この先しばらくにぎわいをもたらしそうです。
 

 にぎわいを見せる二つの都市ですが、「よそ者目線」でまちが提供している価値を見直してみると違いが見えてきます。金沢は、特に駅と周辺施設については、顧客ターゲットは明確に三つ設定されていることがはっきり分かります。まず、先に挙げたインバウンドと首都圏からの若い女性客。それと地域住民(主に周辺エリアから電車通勤をする働く男女)です。前二者は日本と金沢周辺エリアの食と伝統文化を求めていますから、それに関連するモノと情報を提供する手段や店舗、コインロッカーなどの設備が充実しています。全体に高級感があり、若い女性が好むようなおしゃれでかわいいデザインの重要性を事業者も施設運営側も共通認識として持っているようでした。逆にどこを取っても、いわゆるオジサン好みの”ダサい”デザインのモノやサービスは見当たりません。案内板や案内所など情報提供もよく考えられていますし、女性客が重い荷物を持ち運ばないで済むよう預かりサービスも充実しています。顧客の属性とニーズを把握して手を打っており、そうしたものが全体としてまちのブランドづくりに貢献しています。
 

 一方、広島は地域住民の人口や抱える商圏の広さもあるのでしょうが、さまざまなモノやサービスが主に地元向けにデザインされていると感じました。商品名や情報提供も方言を多用するなど、外から来る人の志向や利便性を優先するより、いわば”内輪受け”のテイストを強く感じるものが多いように思います。地元の「知ってる人」優先が前提です。中心市街地に建設された新しいサッカー場の「エディオンピースウイング広島」を訪ねたのですが、試合のない日に特段客を集めたり楽しませたりすることはあまり考えられていないようでした。受け皿となるサービスも少なく、観光客目線での道案内や情報提供も乏しいと感じました。せっかくつくった施設の日常的価値の可能性を狭めているのが残念でした。地元優先の価値観は地域の結束を強める一方、顧客層や市場を広げる邪魔をする面もありそうです。

 

著者プロフィール ◇渡辺 和博/わたなべ・かずひろ

合同会社ヒナニモ代表。1986年筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年日本経済新聞社入社。IT分野、経営分野、コンシューマ分野の専門誌の編集を担当。その後、日経BP 総合研究所 上席研究員を経て、2025年4月から現職。全国の自治体・商工会議所などで地域活性化や名産品開発のコンサルティング、講演を実施。消費者起点をテーマにヒット商品育成を支援している。著書に『地方発ヒットを生む 逆算発想のものづくり』(日経BP社)。

 


 

気象予報士×税理士 藤富郷のクラウドな話

「大きく変わる気象警報」

 

 2025年も多くの大雨災害がありました。8月上旬には北陸や九州で線状降水帯が発生し、大雨特別警報も発表になりました。防災気象情報の発表について「特別警報」は13年、「線状降水帯」は21年から始まり、今では広く認知されています。
 

 ただ、近年の気象災害の甚大化に対して、戦後制定された気象業務法にのっとってなんとか仕組みをつくったため、情報の種類が多くなりそれぞれの危険度が分かりにくくなっていました。
 

 そこで、今回、気象業務法が大きく改正されました。大改革といっていいかもしれません。

 一つ目は、防災情報を5段階の警戒レベルで発表し、今の危険度と何をすべきかが分かるようになります。特に、レベル4の情報として「危険警報」がつくられました。これによって、「レベル2○○注意報」「レベル3○○警報」「レベル4○○危険警報」「レベル5○○特別警報」となり、名称が統一されて危険度が認識しやすくなります。
 

 二つ目は、「大雨」「氾濫」「土砂災害」「高潮」と名称が整理され、どの災害に対応すれば良いのかをつかみやすくなります。これまでは大雨の警報や特別警報に、浸水や土砂災害、洪水をまとめていたり、含まれていなかったりと、どの災害の危険を伝えているのか分かりにくい場合があったからです。
 

 三つ目は、レベル3の「警報」が、3~6時間先にレベル4に達すると想定される場合のみ発表される運用に変更されます。これまでの警報は、基準に達した時点で発表されていたため、かなりの頻度でしたが、時間変化も考慮することで大幅に減らされます。つまり、先につながる情報として警報の重要性が高まるのです。
 

 今回の気象防災情報の改正は、会社防災にとって大きく役立つものになります。求められているのは、レベル3の警報の段階で避難を始め、レベル4の段階では全員避難をしておく状態です。実際は、警報が出ても空振りになることが多いため、警報が出るたびに防災対応していると仕事にならず、警報を軽視しがちです。
 

 それが、警報が先につながる情報に変わり、さらに頻度も少なくなることで、会社防災の判断のトリガーとして有益な判断材料になるのです。避難行動までの猶予が数時間あるため、会社の人や物を守る時間も確保することができます。
 

 すでにBCP(事業継続計画)を策定している企業も、まだ会社防災について検討していない企業も、これを機に新しい気象警報を活用した会社防災についてまとめてみてはいかがでしょうか。 

 

著者プロフィール ◇藤富 郷/ふじとみ・ごう

気象予報士、税理士。埼玉県三郷市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修了。大学院在学中に気象予報士に登録。日本テレビの情報番組に気象キャスターとして出演しながら税理士試験に合格し、2016年に開業。21年に越谷税務署長表彰受賞。趣味の鉄道では、鉄道イベント出演や時刻表、鉄道模型雑誌にコラムを寄稿。プログラミングやダムにも造詣が深く、”複業”として得意を組み合わせて幅広く活躍中。地元の「三郷市PR大使」を務めるなど、地域との関わりも深めている。