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津山商工会議所 所報6月号『今月の経営コラム』
潮流を読む
「中長期的に世界恐慌を招きかねないトランプ政権の相互関税政策」
トランプ大統領が「解放記念日」と称した4月2日に導入された相互関税政策[注1]により、以前に筆者が挙げた、世界経済の成長を不確実にする「2025年以降に考えられる”荒波”」の三つのうち二つは現実のものとなりつつある。具体的には、(1)保護主義的な関税政策によるグローバル・サプライチェーンの混乱、(2)金融政策における緩和姿勢への転換の中断に伴う想定外の米国の中長期金利高止まり、という二つのシナリオが現実味を帯びている。
前記(1)については、4月9日に発表されたWTO事務局長のンゴジ・オコンジョ・イウェアラ博士の声明[注2]の中では、トランプ政権の今回の相互関税政策が世界貿易を分断することとなれば、「長期的には世界の実質GDPが7%近く減少する可能性」があると指摘している。まさに世界恐慌と同程度の大規模な経済危機を引き起こすリスクシナリオを想定しているといえる。ただし、同日にトランプ政権は、米国の対中国関税率を125%に引き上げ、その他の国に対しては相互関税の90日間の一時停止を発表し、その間、関税率はベースラインの10%に引き下げられることとした。この措置を踏まえれば、結局は米国の最大の貿易赤字国[注3]である中国をターゲットとする政策といえる。前述のWTO事務局長の声明でも、「米国と中国の間の貿易摩擦の激化は、世界貿易の約3%を占める二国間貿易の急激な縮小という重大なリスクをもたらしている」とし、「2国間の経済圏の貿易は80%程度減少する可能性がある」としている。
前記(2)については、4月2日以降は、相互関税政策の米国経済成長への不確実性の高まりから、FRBは金融政策の緩和には踏み切れず、長期金利は高止まったままであり、物価が上昇したままでリセッション(景気後退)に陥る米国経済のスタグフレーション懸念が高まっている[注4]。これにより、米国経済の先行きの不透明さによる米国の株式相場の下落や主要通貨に対するドル安を招いた。加えて、4月10日には、安全資産とされる米国債まで売られ「トリプル安」の発生[注5]となり、トランプ政権の政策運営に対する市場からの信頼も揺らいでいると考えられる。
これらを踏まえると、世界経済はトランプ政権の相互関税政策に完全に翻弄(ほんろう)されており、その影響は長期にわたると考えられる。今回の相互関税政策の一時的な停止によって、中国以外の国との貿易戦争を先送りしても、米中の貿易戦争の終結が見通せない中、世界経済成長の将来の不確実性と懸念が解消されるには程遠いであろう。
ちなみに、日本への影響について、大和総研[注6]では4月3日の試算で相互関税による日本の実質GDPへの影響を25年で▲0.6%、29年で▲1.8%程度と試算していたが、相互関税政策の90日間の一時停止措置を踏まえ、「2025年で▲0.2%(4月3日試算との差は+0.4%pt)、2029年で▲0.6%(同+1.2%pt)程度とGDPの下押し幅が縮小」すると試算している。今後の懸念点として「ベースライン関税だけでなく、自動車や鉄鋼・アルミニウム製品などに対する品目別関税措置も継続」と「トランプ政権の半導体、医薬品、銅、木材等の関税率引き上げを検討」を挙げている。”荒波”はうねりを伴う”大波”となる可能性があり、当然ながら中長期的な日本への影響も注視する必要があろう。
(4月11日執筆)
[注1]米国が4月5日から185カ国に一律10%のベースライン関税を課し、4月9日に日本や中国、EUなどの特定の国・地域に対してより高水準の関税を課すという政策。
[注2]Statement by the Director-General on escalating trade tensions
Dr. Ngozi Okonjo-Iweala, Director-General of the WTO, issued the following statement on 9 April(https://www.wto.org/english/news_e/news25_e/dgno_09apr25_e.htm)
[注3]2024年(年間)のモノの輸出額から輸入額を差し引いた貿易赤字額は中国が2954億ドルとトップであり、全体の貿易赤字額1兆1324億ドルの26%を占める。2位の欧州連合は2356億ドル(出所は25年2月5日公表のThe U.S. Census Bureau and the U.S. Bureau of Economic Analysis “U.S. International Trade in Goods and Services, December and Annual 2024″)
[注4]矢作 大祐、久後 翔太郎「『相互関税』による米国経済への影響は?」大和総研レポート25年4月8日
[注5]日本経済新聞「米関税停止、背景に米国債売り 『金融戦争』市場が警戒」25年4月10日
[注6]久後 翔太郎、秋元 虹輝「『相互関税』による日本の実質GDPへの影響は最大で▲1.8%」大和総研レポート25年4月3日、「『相互関税』一部停止の日本経済への影響」大和総研レポート25年4月10日
著者プロフィール ◇内野 逸勢/うちの・はやなり
静岡県出身。1990年慶応義塾大学法学部卒業。大和総研入社。企業調査部、経営コンサルティング部、大蔵省財政金融研究所(1998~2000年)出向などを経て現職(金融調査部 主席研究員)。専門は金融・資本市場、金融機関経営、地域経済、グローバルガバナンスなど。主な著書・論文に『地銀の次世代ビジネスモデル』2020年5月、共著(主著)、『FinTechと金融の未来~10年後に価値のある金融ビジネスとは何か?~』2018年4月、共著(主著)、『JAL再生 高収益企業への転換』日本経済新聞出版、2013年1月、共著。「第3次袋井市総合計画」審議会委員。IAASB CAG(国際監査・保証基準審議会 諮問・助言グループ)委員(2005~2014年)。日本証券経済研究所「証券業界とフィンテックに関する研究会」(2017年)。
中小企業のためのDX事例
「医師が自ら手掛ける現場のDX」
今回は、医者が立ち上げたプログラミングスクール「もいせん(ものづくり医療センター)」の事例です。東京都足立区にある足立慶友整形外科の北城雅照医師が立ち上げた「もいせん」は、医療従事者がテクノロジーを学ぶことにより、自らの手で現場の課題を解決する力を育てる、日本初の医療者向けプロトタイピングスクールです。医師や看護師、リハビリ職など多様な医療従事者がプログラミングやIoT、AIなど幅広い技術を学び、自らの課題意識に基づいたツールを開発しています。
最大の特徴は、医療者自身が「現場目線」で課題を捉え、それに合った解決策を自らつくり出すマインドを醸成する点です。これまで医療現場のIT導入は、外部ベンダーにお願いすることが一般的でしたが、現場の実情に即していないサービスや細かなニュアンスが伝わりづらいという課題がありました。「もいせん」は、まさにそのギャップを埋める存在として誕生したのです。
例えば、耳鼻科医が制作した「耳鳴りを可視化するLINEボット」は、患者が自分の症状をうまく伝えられないという課題を解決しようとしています。さらに、小児科領域では「頭をぶつけた子どもが病院に行くべきか迷う親向けの判断支援ボット」がつくられ、救急医の知見が反映されています。理学療法士が開発した「歩行バランス測定ツール」は、IoTデバイスでリハビリ中の患者の重心や可動域を自動計測する仕組みで、評価作業の効率化に貢献します。また、「離れて暮らす家族を見守るIoTセンサー」は、遠方に住む高齢の両親の体調変化をLINEで通知することで、在宅介護の不安を軽減します。
開発した医療従事者の多くはプログラミング未経験で、受講をきっかけに開発の魅力に目覚め、卒業後も自らの制作活動を続けている受講生も多く、志を同じくする卒業生とのつながりを生み出すコミュニティとしての機能も持っています。ハッカソン(短期間でアイデアを形にする開発イベント)やDEMO DAY(成果発表会)などを通じて、学びを共有し合い、互いに刺激を受けながら成長していく姿が見受けられます。
医療者が当事者として現場を変える力を持ち始め、これからさらに現場にフィットしたDXが実現されていきます。中小企業の皆さまにとっても、業界や職種を問わず、「現場で働く人が自らデジタルを学び、つくり、使う」モデルとして、参考になる事例です。
(この事例は筆者取材時のものであり、現在では異なる場合があります)
著者プロフィール ◇大川 真史/おおかわ・まさし
ウイングアーク1st データのじかん 主筆。IT企業を経て三菱総合研究所に12年間在籍し、2018年から現職。デジタル化による産業構造転換や中小企業のデジタル化に関する情報発信・事例調査が主な業務。社外活動として、東京商工会議所ものづくり人材育成専門家WG座長、特許庁I-OPEN専門家、ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会中堅中小AG副主査、サービス創新研究所副所長など。リアクタージャパン、Garage Sumida研究所、Factory Art Museum TOYAMA、ハタケホットケなどを兼務。経団連、経済同友会、経産省、日本商工会議所、各地商工会議所・自治体での講演、新聞・雑誌の寄稿多数。近著『アイデアをカタチにする!M5Stack入門&実践ガイド』。
日本史のトビラ
「社会事業家・渋沢栄一」
新札(1万円札)の肖像となった渋沢栄一は「日本資本主義の父」といわれ、生涯に約500社の企業の創業や経営に関わった大実業家だが、それを上回る約600の社会事業を手掛けている。明治初期から深く関わってきたのが東京の「養育院」だ。明治5(1872)年にロシアの王族が東京を訪問する際に、東京に路上生活者が多いことから、明治政府が自活できない人々を保護したことが始まりだ。施設はやがて東京府の管轄となり、管理は栄一に委託された。
養育院の施設は上野の護国院の一部が充てられたが、ここを初めて訪れた栄一は驚いた。子どもたちが老人や病人と一緒の部屋に詰め込まれ、精気がなく、笑いも泣きもせず無表情だったからである。その多くは、親に捨てられた子だった。
栄一は生活環境が悪影響を与えていると考え、子どもを老人や病人と分けて生活させ、職員たちに「子どもが笑うのも泣くのも、自分の欲望を父母に訴えて満たそうとするため。なのに、養育院の子にはそうした楽しみがない。だから依頼心が起こらず、表情がなくなってしまうのだ。彼らに家族的な幸せを与えてやるため、あなた方職員は、子どもたちの本当の親になってほしい」と指導したのである。結果、子どもたちの表情はみるみる変わっていったという。
明治15(1882)年、東京府会は、養育院の費用を廃止する動きを見せた。慈善事業は怠け者をつくるだけだという理由からだった。栄一は勘違いも甚だしいと強く反対したが、翌16(1883)年、養育院の廃止が決議されてしまう。すると栄一は、東京府知事の芳川顕正と相談し、今後も養育院を存続させることに決め、運営のための基本財産づくりに奔走した。東京府の共有財産であった和泉橋の地所の売却代金、栄一をはじめ有志の寄付金などをかき集め、さらに明治17、18(1884、85)年からは広く一般から寄付金を募った。こうして運営のメドが立つと、明治18(1885)年から栄一は東京府養育院の院長となり、事務を総括する。明治23(1890)年、養育院は東京市に付属する公的施設に戻るが、その後も栄一は死ぬまで院長として養育院の発展に努め、千葉県安房郡、東京府の巣鴨、井の頭などへも次々と養育施設を拡大し、明治43(1910)年には1800人を超える子どもを保護するまでに発展したのである。
このほか栄一は、学校の設立、明治神宮や南湖神社の創建、関東大震災の復興支援、日米の民間外交など、多くの社会事業に携わった。新札の肖像に選ばれたのは、偉大な実業家というだけでなく、社会事業によって人々の幸せに尽くした業績も大きく評価されたからであろう。
著者プロフィール ◇河合 敦/かわい・あつし
東京都町田市生まれ。1989年青山学院大学卒業、2005年早稲田大学大学院修士課程修了、11年同大学院博士課程(教育学研究科社会科教育専攻(日本史))満期退学。27年間の高校教師を経て、現在、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。講演会や執筆活動、テレビで日本史を解説するとともに、NHK時代劇の古文書考証、時代考証を行う。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)など受賞。著書に『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新聞出版)、『禁断の江戸史』(扶桑社)ほか多数。
トレンド通信
「地域に開かれた社員食堂が見せているもの」
紀伊半島の南紀白浜空港(熊野白浜リゾート空港)のすぐそばにあるレストラン「くおり亭」を訪ねてきました。こちらは、クオリティソフトというIT企業の社員食堂で、一般の客も利用できるお店になっています。とても人気があり、私が訪れた時も、開店時間にはすでに10人ほどが行列をつくっていました。日替わり定食は700円で、白米のほか2種類の玄米やおかゆも選べ、メインディッシュとサラダ、小鉢、スープが付いています。全体的に健康に配慮した素材や味付けで、野菜や米などに地元食材がふんだんに使われています。利用している一般客は、地元のシニア層や女性の一人客、出張で当地を訪れたビジネスパーソンなど、さまざまです。時によっては、食堂の一角でランチタイムコンサートなどが開かれているそうです。
この食堂を運営するクオリティソフトは、セキュリティ管理ソフトなどを手掛ける1984年創業のIT企業で、白浜本社のほか、東京、大阪、仙台に支社を持っています。社員食堂がある本社は太平洋を見下ろす高台にあり、もともとリゾート保養施設だったというロケーションです。東京で創業しましたが、創業者の出身地である和歌山県熊野地域の白浜町に本社を移転し、社員食堂も置いたというわけです。
実は、白浜町はもともと温泉リゾート地として知られていますが、現在は「ワーケーションの聖地」と呼ばれています。自治体の強い後押しもあって環境を整備した結果、セールスフォースや三菱地所など大手企業がいくつもサテライトオフィスを構えています。ワーケーションは、仕事(Work)と休暇(Vacation)を組み合わせた言葉で、普段の職場とは異なる場所で仕事をする働き方です。コロナ禍をきっかけにテレワークが普及したことで、広く知られるようになりました。
社員食堂を一般客にも開放するという試みは、全国各地で多く見られます。地元の食材を利用するだけでなく、料理の提供自体を地元の事業者が交代で受け持つといった例もあります。企業が工場や本社のある場所で、自社の商品を販売したり、製造現場を見せたりする施設を持つことは珍しくありません。ただ、社員も利用する場所を一般に公開する社員食堂と、商品を直売することや工場見学とは、役割や効果が違うと感じます。
直売店や工場は、あくまでも企業と顧客の接点であるのに対して、社員食堂は、企業とそこで働く人との接点です。つまり、自社の商品やサービスよりも、会社が従業員に対してどのような考え方を持ち、それを具体的にどのような形で提供しているかを見せているといえそうです。
現在、ほとんど全ての業種業態で人手不足が問題になっています。大手企業であっても人材の確保と定着は避けて通れない課題です。開かれた社員食堂を通じた、一般社会への情報発信はとても大きな意味を持つと思います。
著者プロフィール ◇渡辺 和博/わたなべ・かずひろ
合同会社ヒナニモ代表。1986年筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年日本経済新聞社入社。IT分野、経営分野、コンシューマ分野の専門誌の編集を担当。その後、日経BP 総合研究所 上席研究員を経て、2025年4月から現職。全国の自治体・商工会議所などで地域活性化や名産品開発のコンサルティング、講演を実施。消費者起点をテーマにヒット商品育成を支援している。著書に『地方発ヒットを生む 逆算発想のものづくり』(日経BP社)。
気象予報士×税理士 藤富郷のクラウドな話
「万博が生み出す乗り物たち」
大阪・関西万博が始まりました。未来や世界を体験することができる万博は、心が躍りますね。私も小学生の時につくば万博が開催され、あれもこれも見たいと何度も出かけたものです。3D映像や携帯電話、ロボットなどを見てワクワクした記憶があります。中には新しい交通機関、未来の乗り物もありました。それらは、後に実現した物もあり、まさに万博から生み出された乗り物ともいえます。
1970年の大阪万博においては、広く知られるようになった「動く歩道」のほかに、会場を回る「モノレール」も注目されました。すでに羽田空港への東京モノレールはありましたが、都市交通に適した構造として、日本独自に研究された平床のモノレールは初めてでした。渋滞に巻き込まれない交通手段で、高所からの展望が良く、観光面の効果もあるため、その後は多摩や沖縄など全国に広がりました。
また、万博に向かうアクセス手段として、初めて乗る人が多かった「新幹線」は、「動くパビリオン」とも呼ばれていました。当時は、夢の超特急ともいわれていた乗り物が、次第に日常で使われるようになり、高速鉄道時代へと世界を変えていったのです。
1985年のつくば万博では、「リニアモーターカー」が大きなトピックでした。磁石の反発力を利用し浮上して進むリニアモーターカーは、当時の国鉄で実験されていましたが、まだまだ図鑑で見るだけの遠い夢の鉄道のイメージでした。ところが、万博会場内では浮上の仕組みは違うものの、実際に走行を可能にし、人も乗れるということが非常に驚きでした。未来がすぐそばにあると実感したものです。
そのリニアモーターカーは、2005年の愛知万博で、会場へのアクセス鉄道に採用され、愛知高速鉄道「リニモ」として開業しました。つくば万博から20年後の万博で初の営業運転が実現したわけです。
つくば万博では、もう一つ注目する乗り物がありました。「連節バス」です。2台のバスがつながったような構造のバスで、臨時の万博中央駅から会場へと多くの客を輸送するため、日本で初めて導入されました。法律の制限により、本格導入は13年後の千葉の幕張からでしたが、今は岐阜市を始め全国の主要都市で見られるようになっています。
そして、今回の大阪・関西万博では、「空飛ぶクルマ」に注目しています。万博はこれまで夢のような乗り物を実現へと導いてきました。私も間もなく、会場でクルマが飛ぶ様子を楽しみ、未来の移動手段に思いをはせるつもりです。
著者プロフィール ◇藤富 郷/ふじとみ・ごう
気象予報士、税理士。埼玉県三郷市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修了。大学院在学中に気象予報士に登録。日本テレビ「スッキリ」に気象キャスターとして出演しながら税理士試験に合格し、2016年に開業。21年に越谷税務署長表彰受賞。趣味の鉄道では、鉄道イベント出演や時刻表、鉄道模型雑誌にコラムを寄稿。プログラミングやダムにも造詣が深く、“複業”として得意を組み合わせて幅広く活躍中。地元の「三郷市PR大使」を務めるなど、地域との関わりも深めている。