お知らせ

2025年8月4日

津山商工会議所 所報9月号『今月の経営コラム』

潮流を読む

「地方圏からの預金流出のメカニズムとその影響」

 

 地元住民が保有する地域金融機関の預金は、地域経済において重要な役割を果たしている。地域金融機関の金融仲介によって、預金は主に地元の産業、企業への貸し出しなどに活用されることで、地域の「稼ぐ力」を資金面で支えている。ただし、少子高齢化が急速に進展している地方圏の県では、人口および世帯数の減少と相続によって、地域経済を支える原資である預金が県外に流出している。預金が流出しても金融仲介が機能し続ければいいが、預金基盤が減少していくことで、地域金融機関が既存の組織・システムを維持・改善するコストが賄えなくなり、収益性が低下していけば、金融仲介機能を効果的かつ効率的に働かせることが難しくなる。
 

 地域金融機関の預金の流出先には、人口が集中し、相続人が多く居住している首都圏が挙げられよう。流出する経路としては、以下の三つが挙げられる。まず、地域金融機関から国内全域をカバーする都銀への預金のシフトである。日本銀行の「貸出・預金動向」のデータで銀行業態別の預金残高の変化率を見ると、銀行業態(ここでは都銀、地銀、第二地銀、信用金庫)を問わず、”コロナ預金”(2020年度から21年度にかけて政府の給付金などにより急増した個人の普通預金)の反動で伸び率は低下傾向にある。特に信用金庫と第二地銀の伸び率が低下している。その結果、銀行全体の預金残高は増加しているものの、コロナ禍を経て銀行業態の中で都銀がシェアを唯一伸ばしている[注1]。このため都銀へのシフトが進んでいると考えられる。この主な理由として、相続によって地方圏から都市圏に流出した預金の受け皿となっていること、地域金融機関などのデジタル化が相対的に遅れている、もしくはその効果が低いこと、などが挙げられよう。
 

 第二の流出経路として、地域金融機関からネット銀行への預金の流出である。銀行業界全体ではコロナ禍に預金残高は増えたものの、同時にネット銀行も台頭した。この傾向が現在も続いており、最近のネット銀行主要6行[注2]の預金残高合計は20 年から24年で1.9倍となった(各社決算データより)。とりわけ、コロナ禍以降の成長が著しい。銀行全体の預金規模(24年度末時点で約1000兆円)[注1]からすれば比率的には小さいものの、24年3月期の主要ネット銀行の預金残高合計は最大手の地銀をしのぎ、34兆円を超えている。
 

 第三の流出経路としては、地域の中小企業を中心とする法人の預金口座から、ネット銀行あるいはメガバンクの提供する法人預金口座への移行である。東京商工リサーチ[注3]によれば「ネット銀行が『メインバンク』の企業が急増」しており、「2013年はわずか665社だった」が、「2018年は1,751社、2023年は4,322社と、コロナ禍を含む5年間で約2.5倍に増えた」としている。高い利便性と安い手数料などでメインバンクに選ぶ企業が増え続けている。加えて、SMBCグループの「Trunk」は中小企業向けの口座・カードを軸としたデジタル総合金融サービスで、このサービスを通じ、法人預金口座についても粘着性の高い預金を獲得することを目指している。地域金融機関にとっては脅威となろう。
 

 以上三つの流出経路を踏まえると、預金基盤の主導権争いは、預金が相続によって地方圏から都市圏への移行が進む、あるいはネット銀行へのシフトが進む中で、地域金融機関と都銀、都銀とネット銀行の間で、本格的に激化していくであろう。この背景には、ネット銀行による金融ビジネスのオープン化(≒標準化)、すなわち”地域”のオープン化と金融プラットフォームのオープン化がますます進展していくことがある。とすれば、将来的に「地域×銀行=地域銀行」という方程式が成り立つのかという懸念が高まっている。今後は、「オープン化する世界」と従来型の「クローズした銀行の世界」とのはざまにおいて、オープン化する世界に参入しながらも、収益を上げて地域の金融仲介機能を維持していくことができるかが、地域金融機関に試されているといえるのではないか。

(7月18日執筆)

[注1]大和総研調査季報2025年夏季号「金利上昇下における預金基盤の重要性の高まり~預金を制するものは金融業界を制す~」内野逸勢、森駿介(25年7月24日)p.46参照。https://www.dir.co.jp/report/research/capital-mkt/it/20250724_030167.html

[注2]預金残高1兆円超規模の銀行であるPayPay銀行、ソニー銀行、楽天銀行、住信SBIネット銀行、auじぶん銀行、大和ネクスト銀行。

[注3]東京商工リサーチ「2023年『ネット銀行メインバンク』調査」(23年8月24日付)

 

著者プロフィール ◇内野 逸勢/うちの・はやなり

 

静岡県出身。1990年慶応義塾大学法学部卒業。大和総研入社。企業調査部、経営コンサルティング部、大蔵省財政金融研究所(1998~2000年)出向などを経て現職(金融調査部 主席研究員)。専門は金融・資本市場、金融機関経営、地域経済、グローバルガバナンスなど。主な著書・論文に『地銀の次世代ビジネスモデル』2020年5月、共著(主著)、『FinTechと金融の未来~10年後に価値のある金融ビジネスとは何か?~』2018年4月、共著(主著)、『JAL再生 高収益企業への転換』日本経済新聞出版、2013年1月、共著。「第3次袋井市総合計画」審議会委員。IAASB CAG(国際監査・保証基準審議会 諮問・助言グループ)委員(2005~2014年)。日本証券経済研究所「証券業界とフィンテックに関する研究会」(2017年)。

 


 

中小企業のためのDX事例

「情報発信と製品開発が生んだ好循環の現場」

 

 今回は、東京都葛飾区に工場を構える株式会社石井精工の事例です。ゴム製品用金型の設計・製造を行う町工場ですが、デジタルサービスを積極的に活用することで、大きな変化を遂げています。とりわけ注目されているのが、YouTubeによる情報発信と、それに連動した自社製品開発の取り組みです。
 

 同社は2021年に「石井精工のゴム金型ch」を開設し、スマートフォン一つで撮影から編集まで完結させるスタイルで、製造現場の様子や工具レビュー、社員インタビューなどを動画で発信してきました。表層的なPRではなく、現場のリアルを伝えることで、価値観に共感した人材を呼び込む採用ブランディングとして成果を上げています。
 

 ただ、工場の日常だけでは発信内容が限られるという課題がありました。そこで着手したのが、自社製品開発をコンテンツ化する取り組みです。製品アイデアの立案から試作、販売までの過程を公開し、最終的にクラウドファンディングによる販売へとつなげる仕組みを確立しました。
 

 この戦略から生まれたのが、内側にアロマを入れられるアルミ製ピンズ「ALMA(アルーマ)」です。墨田区の支援事業を活用してデザイナーと協働し、製品化に至りました。その後も新製品開発によるクラウドファンディングを続け、株式会社リコーのデザインチームと共同開発した「金属の割り箸」など、これまで接点のなかった大手企業との協業も実現しています。
 

 こうした取り組みにより、社内にも好影響が広がりました。社員は自らの製品が世に出る喜びを実感し、仕事への誇りやモチベーションが向上。量産品の品質管理に取り組んだ経験を通じて、技術力や生産管理のレベルも高まりました。
 

 また、YouTube発信によって、会社の価値観に共感する人材が入社するようになり、定着率も改善。社員が自ら発信内容を考え、企画・実行する環境が整ったことで、創造性やチャレンジ精神が醸成されました。このような文化は現場の改善や技術革新にもつながっています。
 

 さらに、情報発信による認知度向上を背景に、同社は下請け依存から脱却しつつあり、若手の採用や組織力強化にも成功しています。経営陣は社員の主体性を尊重する組織への変革を推進しています。
 

 こうした石井精工の取り組みは、限られた資源の中でもデジタルを柔軟に活用し、経営・組織・人材育成に好循環をもたらします。中小企業におけるDXの可能性を体現する先進的な実践として、今後も注目が集まりそうです。

(この事例は筆者取材時のものであり、現在では異なる場合があります)

 

著者プロフィール ◇大川 真史/おおかわ・まさし

 ウイングアーク1st データのじかん 主筆。IT企業を経て三菱総合研究所に12年間在籍し、2018年から現職。デジタル化による産業構造転換や中小企業のデジタル化に関する情報発信・事例調査が主な業務。社外活動として、東京商工会議所ものづくり人材育成専門家WG座長、特許庁I-OPEN専門家、ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会中堅中小AG副主査、サービス創新研究所副所長など。リアクタージャパン、Garage Sumida研究所、Factory Art Museum TOYAMA、ハタケホットケなどを兼務。経団連、経済同友会、経産省、日本商工会議所、各地商工会議所・自治体での講演、新聞・雑誌の寄稿多数。近著『アイデアをカタチにする!M5Stack入門&実践ガイド』。

 


 

日本史のトビラ

「経営の神様・松下幸之助」

 

 松下家は和歌山県和佐村の豪農で、幸之助はその家の8人きょうだいの末っ子として何不自由なく育ったが、父の政楠が米相場で大損したので、9歳の時に口減らしのために奉公に出された。夜になると母が恋しくて泣いたが、そんな幸之助に父は「昔から偉くなっている人は、皆小さい時から他人の家に奉公したり、苦労して立派になっているのだから、決して辛く思わずよく辛抱せよ」(松下幸之助著『私の行き方考え方』実業之日本社)と諭したという。この言葉は生涯、幸之助の心の支えとなった。
 

 15歳の時奉公をやめて大阪電燈に入社したが、精勤ぶりが高く評価され、配線工事の助手から短期間で工事検査員に出世した。仕事は1日3時間で終わる楽なものだったが、亡き父が「商売で身を立てよ」と語っていたので、その職に安住せず、思い切って松下電器を創設し、ソケットの製造を始めたのである。考案した二股ソケットは大当たりし、自前の工場を持つまでになった。
 

 大正12(1923)年、今度は長時間使える電池式自転車ランプを開発。これは必ず売れると信じ、大量生産に踏み切った。ところが自転車販売店は、まったく相手にしてくれなかったのだ。すると幸之助は社の命運を賭け、大阪中の小売店に数個ずつ無料で自転車ランプを配り、「品物が信用できると思ったら売ってください」と頼んだのだ。この捨て身作戦は功を奏し、数カ月もたつと、販売店から注文が殺到するようになった。自社の製品に絶対的な自信があったからこそ、こうした手法が取れたのだ。
 

 昭和5(1930)年、前年に始まった世界恐慌が国内に波及し、昭和恐慌となった。多くの企業が倒産し、ちまたに失業者があふれた。松下電器も売り上げは激減、倉庫に入り切れぬほど在庫を抱えた。幸之助はこの時期、病に伏せっていた。そんな社長の枕頭(ちんとう)に重役が集まり、「生産量と従業員を半減する」という幹部の総意を伝えた。すると病床の幸之助は、意表を突く言葉を発した。
「生産は即日半減するが従業員は一人も減らさない。このため工場は半日勤務とする。しかし従業員には日給の全額を支給する。その代わり全員で休日も廃止してストック品の販売に努力する」(前掲書)、そう命じたのだ。社長の意向を知った社員は、みんな狂喜した。
「松下電器という会社は、どんなことがあっても社員を見捨てることはしないのだ」。その確信が全社員に奮起を促し、山のような在庫はわずか2カ月で一掃された。
 

 幸之助は、以後もプラス思考でピンチを切り抜け、松下電器を世界企業へと飛躍させていった。何があっても決して悲観しないこと、それが苦節時代に幸之助が身に付けた、経営哲学の神髄であった。

 

著者プロフィール ◇河合 敦/かわい・あつし

東京都町田市生まれ。1989年青山学院大学卒業、2005年早稲田大学大学院修士課程修了、11年同大学院博士課程(教育学研究科社会科教育専攻(日本史))満期退学。27年間の高校教師を経て、現在、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。講演会や執筆活動、テレビで日本史を解説するとともに、NHK時代劇の古文書考証、時代考証を行う。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)など受賞。著書に『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新聞出版)、『禁断の江戸史』(扶桑社)ほか多数。

 


 

トレンド通信

「『かむこと』の深掘りで新たなビジネスチャンスの可能性」

 

 先日、セロトニン研究の第一人者として知られる医学博士、有田秀穂氏の話を聴く機会がありました。セロトニンは、脳内で働く神経伝達物質の一つで、「幸せホルモン」とも呼ばれます。精神を安定させる働きがあり、不足するとイライラしたり、不安感が増したりするそうです。ストレスの多い生活を送る現代人は、このセロトニンの働きをうまく利用して心身の状態を良く保つことが重要だと有田氏は言います。
 

 セロトニンは、脳の中心部に位置する脳幹にあるセロトニン神経を刺激することで、分泌を促すことができるそうです。このセロトニン神経の近くに、歩行やそしゃく、呼吸をつかさどる中枢があることから、歩行運動や食べ物をかむこと、意識的な呼吸によってセロトニン神経を刺激することが有効とのことでした。太陽の光に当たることも良いそうです。
 

 いずれも、われわれが日常的に行っていることですが、例えば歩行に関して、通勤・通学で歩くといった刺激が多い環境ではセロトニンを増やす効果が減り、公園や遊歩道のウォーキングのように、歩くことに集中できる環境の方が良いそうです。
 

 呼吸については、ヨガや座禅の時に用いられるようなゆっくり大きく吐いて吸うことを繰り返すのが有効だとしていました。
 かむことについては、「野球のメジャーリーグ中継で選手がガムやヒマワリの種を試合中にかんでいるのは、プレッシャーやストレスを減らすのに効果的だと経験上知っているから」だと推測しています。
 

 日本では、人前でものをかむことは失礼に当たる、行儀が悪いと考えられています。また、食品も昔に比べてやわらかいものが増え、スルメのようなかみ応えのあるものを取る機会が少なくなっているため、「かむこと」が軽視されているのではないかと指摘していました。
 スルメに限らず、かみ応えのある食べ物は、全国各地にいろいろあります。例えば北海道の鮭とばやコマイ、東北地方の貝ひも、明石などの干しタコはよく知られています。また漬物や干し芋などの野菜にも、かみ応えのある伝統食はいろいろあります。
 こうした分野の商品はこれまで、主に独特の味わいと風情を持つ酒のつまみとして販売されていましたが、科学的な視点で見直せば、新たな価値が生じてこれまでとは違ったビジネスチャンスが生まれるかもしれません。
 

 また「行儀が悪い」といったことに関しては、時代によって変わる可能性があります。例えば「食べ歩き」は、昔の価値観では行儀が悪いとされていた時代もありました。しかし、今ではすっかり市民権を得て定着した飲食スタイルとなり、観光地のグルメ開発では必須のジャンルになっています。こうした知見や時代の変化を踏まえると、ガムやグミといったお菓子以外にも、「かむこと」の機能性や健康への効果に注目した商品の市場が新しくつくれる可能性があるのではないかと注目しています。

 

著者プロフィール ◇渡辺 和博/わたなべ・かずひろ

合同会社ヒナニモ代表。1986年筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年日本経済新聞社入社。IT分野、経営分野、コンシューマ分野の専門誌の編集を担当。その後、日経BP 総合研究所 上席研究員を経て、2025年4月から現職。全国の自治体・商工会議所などで地域活性化や名産品開発のコンサルティング、講演を実施。消費者起点をテーマにヒット商品育成を支援している。著書に『地方発ヒットを生む 逆算発想のものづくり』(日経BP社)。

 


 

気象予報士×税理士 藤富郷のクラウドな話

「流れ星とパッション」

 

 流れ星に願い事を唱えたことはありますか? 夜に外を歩いていると、ごくたまにすっと星が流れ、あっと気付くこともありますよね。夏から秋にかけては、流星群が多く、流れ星が多く見られる季節です。流星群が現れる日には、1時間に何個も観察できますので、のんびり夜空を眺めるといいでしょう。
 

 天気の観点からも、夏から秋は星空を観察するのにもってこいの季節です。観察に邪魔になるのが、空一面に広がる層状の雲ですが、夏の雲はもこもこした積雲が多いので、空全体を雲が覆うことがなく、多少雲が出たとしても隙間の方が多くなるため、星空が見えやすい状態になります。また、秋はすっきりと晴れる日が多く、ちりやほこりも少ないので、天高い空が広がります。夜も気温が高めで冷え込まないので、外でも長い時間、夜空を眺めることができると思います。
 

 さて、「流れ星が流れている間に、3回願い事を唱えることができると、その願い事がかなう」という言い伝えがありますね。しかし、実際は流れ星が流れる時間は1秒くらいですので、何を言うか考えている間に消えてしまうものです。ぱっと思い付きで言うのも難しいくらいですよね。
 

 では、この流れ星に願い事を唱えることには、どんな意味があるのでしょうか。私が考えるには、いかに普段から自分の願いを認識しているか、瞬時に願い事を言えるくらい心に刻まれているかが、試されているのではないかと思うのです。突然の流れ星にも3回願いを言えるくらいの意識があれば、行動も伴い、夢の実現につながるというわけです。
 

 先日「パッションテスト」について書かれた本を読みました。自分の情熱を明確にして生きようというものです。それによると情熱とは静かなるワクワク。趣味に没頭するなど、指示されなくても自然と行動してしまっているような時は情熱を感じています。よく、なりたい自分になるための目標を立てますが、ただゴールという結果だけを考えていると、日々のモチベーションを維持するのが大変です。そこで、まず自分の心に響くことが何であるか、どんなことに情熱を感じるか、紙に書き出してみて、目標や行動がその情熱を満たすものであるか確認してみるといいようです。ワクワクがあると、努力やモチベーションに関係なく、楽しみながら夢の実現に向かっていけるからです。
 

 さて、もし子どもに「流れ星が願いをかなえてくれるのはなぜ?」と聞かれたら、どうしましょう。「瞬時にお願いできるくらい夢を意識しているから。決して他力本願ではないのだよ」と答えてあげたいですね。

 

著者プロフィール ◇藤富 郷/ふじとみ・ごう

気象予報士、税理士。埼玉県三郷市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修了。大学院在学中に気象予報士に登録。日本テレビの情報番組に気象キャスターとして出演しながら税理士試験に合格し、2016年に開業。21年に越谷税務署長表彰受賞。趣味の鉄道では、鉄道イベント出演や時刻表、鉄道模型雑誌にコラムを寄稿。プログラミングやダムにも造詣が深く、”複業”として得意を組み合わせて幅広く活躍中。地元の「三郷市PR大使」を務めるなど、地域との関わりも深めている。