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津山商工会議所 所報10月号『今月の経営コラム』
潮流を読む
「大規模な地銀誕生による業界再編なるか」
前回のコラム「地方圏からの預金流出のメカニズムとその影響」では、地方からの預金流出が地域金融機関の果たすべき金融仲介機能とビジネスに与える影響に言及した。今回は、それを踏まえた上で、地域金融機関、特に上場している地域銀行(上場地銀)の再編の方向性について触れていく。上場地銀でも「預金流出メカニズム」によって、今後、預金基盤=顧客基盤の減少が見込まれていく。このため、将来的に、上場地銀は単独で、効率的かつ効果的な金融仲介機能を果たし、自行のビジネスを成長させることが困難になると想定される。とすれば、他行との統合や合併により預金基盤を拡大して、規模の利益を追求し、経営基盤の効率化を図り、企業価値を向上させることが必要となろう。過去にも何度か地域銀行(地銀)のオーバーバンキング(銀行数が多すぎる)問題、地銀の経営の持続可能性に対する懸念などにより、その再編が注目されたが、最近の地銀の再編では、企業価値向上こそがキーワードとなる。
上場地銀の企業価値の代表的指標としては、株価÷1株当たり純資産(=純資産÷発行済み株式数)で求められる「PBR(株価純資産倍率)」が挙げられる。株価が1株当たり純資産の何倍ぐらいの水準にあるかで企業価値を測定するものである。通常、1倍以下、つまり株価≦資産の簿価(1株当たり純資産)の場合、企業価値が低いといえる。日々の株価が変動するため、一概にはいえないが、大部分の上場地銀のPBRは、1倍を大きく下回っている。これらを踏まえて、上場地銀のPBRと預金残高の二つの関連性を見る散布図において関係の強さを示す決定係数に着目すると、5年前(2020年3月末)の0.05と比べて、直近(25年3月末)では0.56となり、預金残高が大きくなるほど、企業価値が高い関係があることが分かる[注1]。
直近の散布図において、上場地銀の預金残高の大きい順から、第1グループ(預金残高が約16兆円から約20兆円)、第2グループ(約8兆円から約14兆円)、第3グループ(約7兆円以下)の三つに分類し、上場地銀同士の再編のシナリオを以下に三つ想定した。最近の上場地銀同士の統合などの再編の事例によると、第2グループの上場地銀同士の統合が見られ、その結果、第1グループに分類される上場地銀が誕生した。つまり、第2グループが第1グループまで預金規模を拡張する戦略、これが上場地銀の規模拡大の第一シナリオである。第二シナリオとして、第1グループの地銀が県内の上場地銀、あるいは隣県・他県の上場地銀を傘下に収める拡張戦略である。将来的には、第一シナリオ、第二シナリオを軸に拡張戦略が取られると想定される。第三シナリオとして、第1グループに属する地銀同士、あるいは第1グループと第2グループの地銀の統合による預金残高が30兆円程度の地域を超えた大規模地銀、いわゆる”スーパー・リージョナル・バンク”の誕生である。これは、過去の地銀統合の事例にはない、想定外の統合も含まれよう。ちなみに、前記の地銀のPBRと預金残高の散布図から近似曲線を伸ばしていくと、32兆円程度でPBRが1倍を超えてくる。
規模だけ大きいスーパー・リージョナル・バンクの誕生だけでは、長期的な上場地銀の生き残り戦略としては十分とはいえないのではないか。例えば、すでに50兆円を超える預金残高を有するりそなホールディングスは、りそな銀行と埼玉りそな銀行を軸に、都市部の地銀を傘下に収め、また、地銀にバンキングアプリ[注2]や資産形成商品などを提供すること(=地銀にテクノロジー、金融商品を提供するプラットフォーマーの役割)を通じて連携することで、リテールの預金基盤を拡大していく戦略を取っている。まさに、同社は大手銀行グループでありながら”スーパー・リージョナル・バンク”としての事業モデルを進化させている。このことから、今後誕生する可能性のある”大規模地銀”の企業価値向上を目指す先駆的存在といえるのではないか。
(8月20日執筆)
[注1]内野逸勢、森駿介「金利上昇下における預金基盤の重要性の高まり~預金を制するものは金融業界を制す~」大和総研調査季報2025年夏季号(Vol.59)、p.40図表2参照。https://www.dir.co.jp/report/research/capital-mkt/it/20250724_030167.html
[注2]銀行の預金口座などの利用者がスマートフォンやタブレットを使用して預金口座を管理し、自身の金融資産、負債の状況を表示し、決済などの取引を実行できるようにするためのソフトウエア・アプリケーション。
著者プロフィール ◇内野 逸勢/うちの・はやなり
静岡県出身。1990年慶応義塾大学法学部卒業。大和総研入社。企業調査部、経営コンサルティング部、大蔵省財政金融研究所(1998~2000年)出向などを経て現職(金融調査部 主席研究員)。専門は金融・資本市場、金融機関経営、地域経済、グローバルガバナンスなど。主な著書・論文に『地銀の次世代ビジネスモデル』2020年5月、共著(主著)、『FinTechと金融の未来~10年後に価値のある金融ビジネスとは何か?~』2018年4月、共著(主著)、『JAL再生 高収益企業への転換』日本経済新聞出版、2013年1月、共著。「第3次袋井市総合計画」審議会委員。IAASB CAG(国際監査・保証基準審議会 諮問・助言グループ)委員(2005~2014年)。日本証券経済研究所「証券業界とフィンテックに関する研究会」(2017年)。
中小企業のためのDX事例
「HACCPとIoTで深化する養豚のデータ活用」
今回は、IoTと現場アプリで生産管理を刷新した養豚業の事例です。「まるみ豚(とん)」で知られる宮崎県児湯(こゆ)郡川南町にある有限会社協同ファームは、2010年に県内で猛威をふるった口蹄疫(こうていえき)により全頭殺処分を余儀なくされる大打撃を受けました。この苦い経験から、衛生管理とデータ活用を柱に据えた「データで裏付ける経営」へかじを切りました。
豚舎にセンサーを設置し、水や餌の供給量、温湿度、二酸化炭素、浄化設備の稼働までをクラウドで可視化しています。異常値が出れば担当者の端末に通知が届くので、給餌や換気の調整、設備トラブルの早期発見につながります。日常点検の頻度を変えずに対応スピードを高める仕組みです。さらに副次的な効果として、季節ごとの活動時間帯や給水のタイミング・量といった豚の生態も、通年でリアルタイムに把握できるようになりました。これを基に飼育側の打ち手を具体化し、新たなアイデアの実践にもつなげています。
併せて、国際基準であるHACCP(ハサップ)の考え方に基づく衛生管理体制を整え、農場HACCP認証の取得と運用を通じて工程ごとの重要管理点を明確化しました。点検記録や手順の標準化が進み、属人的だった作業は「誰がやっても同じ品質」に近づき、教育や引き継ぎの負担も軽くなりました。
管理システム面では、紙の飼育日誌や事務所でのExcel転記に依存していたプロセスを、現場入力のモバイルアプリへ置き換えました。餌の消費量や在庫、豚の数をその場で登録できるため、移動時間と転記ミスが減少。情報がリアルタイムで共有され、問題の把握から是正までのサイクルが短縮されています。
日次で集約されたデータにより、豚舎ごとに豚の体重増加量や飼料効率、設備稼働のボトルネックが可視化され、予防保全の立案や人員配置の最適化にも踏み込めています。紙のデジタル化からセンサー拡張への段階的な導入が、業務移行と定着の鍵となりました。こうして積み上げた日々の可視化と改善が、まるみ豚の信頼を支える基盤になりました。現場で集められる最小単位のデータから始め、意味のある指標に絞って運用を回し続けることが、無理なく成果を生むDXの定石といえます。
(この事例は筆者取材時のものであり、現在では異なる場合があります)
著者プロフィール ◇大川 真史/おおかわ・まさし
ウイングアーク1st データのじかん 主筆。IT企業を経て三菱総合研究所に12年間在籍し、2018年から現職。デジタル化による産業構造転換や中小企業のデジタル化に関する情報発信・事例調査が主な業務。社外活動として、東京商工会議所ものづくり人材育成専門家WG座長、特許庁I-OPEN専門家、ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会中堅中小AG副主査、サービス創新研究所副所長など。リアクタージャパン、Garage Sumida研究所、Factory Art Museum TOYAMA、ハタケホットケなどを兼務。経団連、経済同友会、経産省、日本商工会議所、各地商工会議所・自治体での講演、新聞・雑誌の寄稿多数。近著『アイデアをカタチにする!M5Stack入門&実践ガイド』。
日本史のトビラ
「弱小教団を繁栄させた蓮如の戦略」
京都の大谷本願寺を拠点とする浄土真宗本願寺派は、始祖親鸞の教えを受け継ぐ正統な一派だが、信者が増えず弱小教団のままだった。ところが本願寺8世となった蓮如は、一代で大教団へと発展させたのである。
大谷本願寺は、この時期、天台宗青蓮院の末寺になり果てていた。長禄元(1457)年、8世に就いた蓮如は、「天台宗から離れなければ未来はない」と考え、天台宗系の経典や仏像を風呂のたき付けに使うなど完全に天台宗と決別し、積極的に浄土真宗の布教を始めた。これを知った青蓮院の本寺・比叡山延暦寺は激怒し、僧兵を派遣して大谷本願寺の建物をことごとく破壊した。仕方なく蓮如は畿内各地に潜伏しながら布教を続けたが、延暦寺の妨害は激しさを増す一方で、信者が集まらない。ここにおいて蓮如は思い切って拠点を越前国吉崎へ移した。京都という大都会を捨て、新天地での発展に賭けたのだ。
さらに蓮如は、布教方法を根本的に改めた。親鸞の教えを分かりやすく記した手紙形式の「御文」(おふみ)を考案して、信者を集め、有力な弟子に朗読させる一斉布教を開始した。
この手法を用いるに当たり、蓮如は弟子に布教マニュアルを与えた。そこには「御文を最初から最後まで一気に読もうとするな。人の気は短いのだ。信者が退屈したり居眠りしたら、朗読をやめて何か面白い話をしたり、休憩を取りなさい。時にはあなたが能を演じたり、信者にお酒を振る舞ったりしてもよいだろう」といったことがこまごまと書かれている。人間の心理を見事に捉えたアドバイスだ。
同時に、新たに女性や下層民を布教対象に加えた。特に、この世では救われないとされた女性に、「阿弥陀様は女性こそ率先して救ってくださる。死んだら必ず極楽浄土に行ける」と女人往生を断言した。結果、女性が蓮如の下に殺到し、その夫や子どもも入信することになり、信者は爆発的に増えていった。
ちなみに、蓮如が女性に布教しようと思い立ったのは、生い立ちと関係があるという。蓮如の母は身分の低い女性で、蓮如の父が正妻を迎えると、幼い蓮如を残し、いずこともなく立ち去った。そんな哀れな母の影響も、女人往生を説くきっかけになったようだ。
蓮如はいつも粗末な服を身にまとい、門徒に「仏の下に人は平等だ」と説き、彼らのことを自分と同じ道を歩む仲間だとして「御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)」と呼び、「私は彼らに養われて生きている」と謙虚に語った。こうして膨大な信者を獲得した蓮如は、吉崎から拠点を京都(山科)へ戻した。そう、見事カムバックを果たしたわけだ。
著者プロフィール ◇河合 敦/かわい・あつし
東京都町田市生まれ。1989年青山学院大学卒業、2005年早稲田大学大学院修士課程修了、11年同大学院博士課程(教育学研究科社会科教育専攻(日本史))満期退学。27年間の高校教師を経て、現在、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。講演会や執筆活動、テレビで日本史を解説するとともに、NHK時代劇の古文書考証、時代考証を行う。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)など受賞。著書に『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新聞出版)、『禁断の江戸史』(扶桑社)ほか多数。
トレンド通信
「シニア世代のマインドがまちの活気を左右する」
空き家をリノベーションしておしゃれな店がどんどんつくられ、移住者が増えている地方都市があるというので訪ねてきました。長野県の小諸市は人口約4万人。県の東部に位置し、御代田、軽井沢を挟んで群馬県から東京に通じるルート上にあります。北陸新幹線では、軽井沢駅と上田駅の間の佐久平駅が最寄りとなりますが、佐久平は小諸市ではなく隣の佐久市にあります。ちょうど新幹線が小諸市を避けるようにぐるりと南に回り込んでいる格好です。近年は新幹線が通る佐久市に大型商業施設ができたこともあり、在来線の小諸駅を中心とする市街地にはシャッター店舗が目立つようになっていました。
そんなまちがこの数年で活気を取り戻し始めています。行政と市民が連携して空き家などに移住者を積極的に受け入れ、おしゃれな店舗を次々と誘致する「おしゃれ田舎プロジェクト」を始めたのです。その結果、ここ数年で、このプロジェクトを経由して約30店舗、それ以外のルートを合わせて70ほどの新しい店が小諸に生まれています。レストランやカフェ、花屋、雑貨屋、洋裁店、パン屋、ハム・ソーセージの専門店、ゲストハウスなど、その内容も多彩です。
そんな移住者が開いた店の一つであるパン屋「保時鳥(ホトトギス)」の平井さんに話を聞きました。横浜の食料品を扱う店で働いていましたが、いずれ製造方法や原材料にこだわった付加価値の高いパンの専門店を開業したいと考えていたそうです。東京・有楽町にある長野県の移住相談窓口で、やりたいことを話すと小諸市を紹介されました。
移住・開店に当たっては下見に訪れた1日で、物件だけでなく改装業者や先に移住した先輩たち、地域の金融機関の担当者なども紹介してもらったそうです。石材店を改装した店舗に新たに石窯を設置し、長野県産小麦と天然酵母を使うパン屋を2023年3月に開業しました。週末しか営業しませんが、いまや市内だけでなく軽井沢や上田といった周辺地域からもお客さんが訪れる名店となっています。
この店の近くにある地域の交流拠点「北国街道与良館」にボランティアで駐在している地元シニアの皆さんに、保時鳥についてどう思うかを聞いてみました。売り方も品ぞろえも価格設定もそれまで地元にあったパン屋とは大きく違うため、当初ビジネスが理解できず戸惑いもあったようです。しかし店主の平井さんとは家族や親戚のようにいつも親しく付き合い、「とても感じのいい若い世代の仲間で、地元に新しい活気を運んでくれて感謝している」と言います。
地域によっては、シニア層が移住者の事業の足を引っ張ったり無視したりする所もあるようです。小諸市は、もともと商業集積地でいろいろな人が出入りすることに慣れていました。移住者をまちの貴重な戦力だとリスペクトする地域のシニア層のマインドが、次々と新しい店がつくられ、活気が生まれる要因の一つになっているのだと感じました。
著者プロフィール ◇渡辺 和博/わたなべ・かずひろ
合同会社ヒナニモ代表。1986年筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年日本経済新聞社入社。IT分野、経営分野、コンシューマ分野の専門誌の編集を担当。その後、日経BP 総合研究所 上席研究員を経て、2025年4月から現職。全国の自治体・商工会議所などで地域活性化や名産品開発のコンサルティング、講演を実施。消費者起点をテーマにヒット商品育成を支援している。著書に『地方発ヒットを生む 逆算発想のものづくり』(日経BP社)。
気象予報士×税理士 藤富郷のクラウドな話
「雲海は運ではない!?」
先日、埼玉県秩父市で雲海を見るツアーに参加しました。秩父は周囲を山に囲まれた盆地で、雲海の名所です。まちなかで発生するため、雲海と夜景の光が合わさった光景を楽しむことができる場所でもあります。夏で雲海の発生がなかなか難しい季節でしたが、ツアー前日に雨が降り、気温も下がって条件が整ってきたので期待していました。日の出前の薄明かりの中、階段を上り展望台にたどり着くと、そこには秩父のまち並みが広がっていました。うっすらとベールに包まれた感じはありましたが、雲海というには程遠く……。風は弱かったのですが、風速が1m/sを超えていたのが気になっており、もっと「なぎ」のような時でないと雲海は発生しないのだなと実感しました。
雲海は、高い所から見下ろした時に、下に広がる雲が海のように見えるものです。兵庫県の竹田城跡が、雲海の上に顔を出す「天空の城」と呼ばれるようになり、雲海ブームとして広がっていきました。北海道のトマムや広島県の三次(みよし)などの盆地、岡山県の備中松山城などの谷筋にある山城など、周囲が山で囲まれた地形では、雲海が発生しやすくなります。
雲海が発生する条件は、「空気中に水蒸気が多く、湿っていること」や「熱が上空に逃げていく放射冷却現象により、地面付近の空気が冷やされること」などがあります。雨が降った後、深夜から早朝にかけて晴れて冷える日はこれに当てはまり、出現率が高まります。そして、「風が弱い」ということも大切な条件の一つです。
平野の真ん中に住んでいると、近くに山がないため日々の生活で雲海を体験することができません。旅に行かないと見ることができないと思うと、行った時に雲海が発生するのかどうか気になります。
雲海が見られるのは”運”だと思われがちですが、ある程度、予測が可能です。発生の条件を踏まえると、前日の露点温度(空気中の水分が結露する温度)より朝の予想最低気温が低いこと。それに加えて、朝に晴れて風が弱い予想の時は期待してもよいと思われます。
そうはいっても明け方、山道を登る途中はドキドキしますよね。条件がそろっていたとしても、展望台に着くまでは見えるかどうか分かりません。その分、雲海に出合えた瞬間の感動は忘れられないものです。天守閣から雲海を見下ろす城主になって、雲の合間から麓の様子をうかがい、朝日が昇るのを待つ姿を想像したくなります。
雲海は、日の出とともに次第に消えていきます。秋は雲海の発生率が高くなりますので、早朝に雲海のロマンを感じてみるのもいいですね。
著者プロフィール ◇藤富 郷/ふじとみ・ごう
気象予報士、税理士。埼玉県三郷市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修了。大学院在学中に気象予報士に登録。日本テレビの情報番組に気象キャスターとして出演しながら税理士試験に合格し、2016年に開業。21年に越谷税務署長表彰受賞。趣味の鉄道では、鉄道イベント出演や時刻表、鉄道模型雑誌にコラムを寄稿。プログラミングやダムにも造詣が深く、”複業”として得意を組み合わせて幅広く活躍中。地元の「三郷市PR大使」を務めるなど、地域との関わりも深めている。