お知らせ

2025年2月5日

津山商工会議所 所報3月号『今月の経営コラム』

潮流を読む

「2024年の世界経済の回顧と25年の見通しの留意点」

 

 2024年は、世界経済が23年まで続いた”荒波”をようやく乗り越えた年であった。ここでの”荒波”とは、パンデミック後のサプライチェーンの混乱から始まり、ウクライナでの戦争による世界的なエネルギー・食料危機、インフレ率の急上昇、それに続き世界各国で同時進行した金融引き締めなどである。国際通貨基金(IMF)によると、24年の世界経済は”荒波”が消え、「非常にレジリエント(回復力がある状態)であり、インフレ率が目標水準に回帰していく中、成長率は安定的に推移している」(24年4月「世界経済見通し」)という。24年10月「世界経済見通し」でも、総じて世界のインフレ率が低下する(世界の総合物価上昇率の年間平均値は23年の6.7%から24年は5.8%に低下する)ため、世界経済の成長率は「安定的に推移」するとしており、24年と25年はともに、3.2%の成長率になると予想した。

 国・地域別に主要地域の24 年の景気動向を実質GDP成長率(前期比年率)で振り返ると、米国は金融引き締めの効果により、年初1~3月期に前期比年率2%を割り込んで減速したが、4~6月期以降は3%程度の拡大となった。夏に雇用統計の悪化を受けて景気後退懸念が強まったものの、その後の経済指標の結果から米国景気の堅調さが確認され、金融市場が落ち着きを取り戻したことなどが背景にある。
 

 欧州(ユーロ圏)は23年の停滞(ゼロ成長)を脱し、2%近い成長率まで持ち直してきている。欧州中央銀行(ECB)はインフレの減速を受けて利下げを開始し、欧州域内の経済を下支えしたことが一因に挙げられる。日本経済に目を向けると、自然災害や自動車の工場稼働停止、実質賃金の回復の遅れなどもあって停滞感が強かった。
 

 24 年の日本の実質GDP成長率は▲0.1%と、ドイツの▲0.2%に次ぐ、主要7カ国の中で2番目に低い成長率になる見込みだ。この背景の一つとして、訪日外客数は増加したものの、中国の景気減速などを背景に中国人訪日客数が伸び悩んだことがある。他方、賃金・物価上昇の持続性が高まったことを受け、日本銀行は利上げを実施するなど金融政策の正常化が進んだ。
 

 中国の24 年の実質GDP成長率は、政府成長率目標(5.0%前後)を達成した。不動産不況が継続したこともあって経済は減速したが、大規模な景気てこ入れ策で成長率が押し上げられた。
 

 大和総研の25年の世界経済見通し[注1]では、日本1.6%、米国2.3%、ユーロ圏1.3%、英国1.4%、中国4.5%となっているが、これを阻害し得る最大の懸念は、トランプ大統領の政策であろう。まず、自由貿易体制は同盟国間であっても容易に形骸化し、仮に関税引き上げが実施されれば、各国間での保護主義政策の応酬に発展する恐れがある。次に、世界の企業行動にも影響する供給体制の構築については、自国優先や経済安全保障優先への対応が一層強まる可能性がある。三つ目、財政政策については、24年の各国選挙で与党が軒並み苦戦したように、国民の生活不安や不満が高まっており、新政権にはその対処が求められるが、財政不安や過度の金利上昇が懸念される。最後に金融政策では、日米欧中の四極間での金融政策のスタンスの差は当面広がっていくと見られ、まちまちな金融政策の方向性は、状況次第でマーケットの大きな変動をもたらし得るだろう。
 

 25年の世界経済は、昨年消えたはずの”荒波”が復活し、各国の経済が目指す正常化(ポストインフレ)に至るか、不確実性が高まる懸念がある。望ましくないインフレ再燃の芽は多く、そのレジリエンスが試される年となろう。

(1月20日執筆)

[注1]大和総研経済調査部、ニューヨークリサーチセンター、ロンドンリサーチセンター「主要国経済Outlook 2025年1月号(No.458)」24年12月23日

          

著者プロフィール ◇内野 逸勢/うちの・はやなり

 

静岡県出身。1990年慶応義塾大学法学部卒業。大和総研入社。企業調査部、経営コンサルティング部、大蔵省財政金融研究所(1998~2000年)出向などを経て現職(金融調査部 主席研究員)。専門は金融・資本市場、金融機関経営、地域経済、グローバルガバナンスなど。主な著書・論文に『地銀の次世代ビジネスモデル』2020年5月、共著(主著)、『FinTechと金融の未来~10年後に価値のある金融ビジネスとは何か?~』2018年4月、共著(主著)、『JAL再生 高収益企業への転換』日本経済新聞出版、2013年1月、共著。IAASB CAG(国際監査・保証基準審議会 諮問・助言グループ)委員(2005~2014年)。日本証券経済研究所「証券業界とフィンテックに関する研究会」(2017年)。

 


 

中小企業のためのDX事例

「スタートアップのアイデアを形にする町工場」

 

 今回は、スタートアップと地場産業の価値共創プラットフォーム事例を紹介します。
東京都墨田区に拠点を構える金属加工メーカー、株式会社浜野製作所は、2000年に隣接する工場からの火災で設備や資材を失うという存続の危機に直面しました。この困難を「ものづくりをゼロから考え直す機会」と捉え、下請け依存型のビジネスモデルからの脱却を目指しました。その一環として14年、工場敷地内の一画に「Garage Sumida」を開設しました。

 

 この施設は、スタートアップの試作開発や製品化を支援する場であると同時に、地場産業やグローバル企業との連携を通じた共創の拠点でもあります。アイデア段階から試作、製品化まで、浜野製作所の職人たちがものづくりの知識や技術を駆使し、複雑な部品の加工や設計を支援しています。また、デジタル技術を補完的に活用することで、高精度で効率的な製品開発を実現しています。

 

 例えば、台風の風力を利用して発電するユニークな風力発電装置を開発した「チャレナジー」は、試作開発の段階から同施設の支援を受けました。また、スマート電動車椅子のパイオニアである「WHILL」の製品開発や、分身ロボット「OriHime」を手掛けた「オリィ研究所」の試作支援も行っています。これまでに300を超えるスタートアップに関わってきました。

 

 浜野製作所の特徴として、人材交流と地場産業連携が挙げられます。例えば、トヨタ自動車のエンジニアを受け入れ、同社の職人やスタートアップのメンバーと協力しながら技術課題を解決することで、全員のスキルや知見が向上する好循環が生まれています。また、地元墨田区で行われる地場産業の魅力や技術を発信するイベント「スミファ」に10年以上参加し続けており、製造業になじみのない地域住民が直接工場を訪れて、ものづくりの一端に触れられる機会をつくっています。さらに子ども向けの体験イベントも運営しており、次世代にものづくりの楽しさを伝える活動も展開してきました。また、これらの企画・運営を若手社員が担当することで人材育成の機会にもつなげています。

 

 「Garage Sumida」の意義は、単に製造支援を行うだけでなく、スタートアップ、大企業、地域社会が相互に影響を与え合いながら成長するエコシステムの一翼を担う点にあります。これらの取り組みは、地域経済やスタートアップエコシステムの発展における模範的な事例として、今後のさらなる展開が期待されています。

(この事例は筆者取材時のものであり、現在では異なる場合があります)

 

著者プロフィール ◇大川 真史/おおかわ・まさし

 ウイングアーク1stデータのじかん主筆。IT企業を経て三菱総合研究所に12年間在籍し、2018年から現職。専門はデジタル化による産業構造転換、中小企業のデジタル化。オウンドメディア『データのじかん』での調査研究・情報発信が主な業務。社外活動として、東京商工会議所ものづくり人材育成専門家WG座長、エッジプラットフォームコンソーシアム理事、特許庁Ⅰ-OPEN専門家、ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会中堅中小AG副主査、サービス創新研究所副所長など。i.lab、リアクタージャパン、Garage Sumida研究所、Factory Art Museum TOYAMA、ハタケホットケなどを兼務。各地商工会議所・自治体での講演、新聞・雑誌の寄稿多数。近著『アイデアをカタチにする!M5Stack入門&実践ガイド』。

 


 

職場のかんたんメンタルヘルス

「クレーム対応の秘訣」

 

 どのような職場であっても、さまざまなトラブルやクレームに見舞われることがあると思います。その対応や処理で心身が疲弊してしまうことも少なくありません。今回は、クレーム被害を最小限に抑える方法をお伝えします。

 

 クレームを訴える行為には、それに伴う感情が必ず存在します。意見、要求などに付随する「怒り」が原動力となることが多いですが、そもそも「怒り」は根本にある1次感情から派生した2次感情です。1次感情は、「悲しい」や「悔しい」などのつらさであったり、「心配」や「不安」といった困り事であったりします。

 

 例えば、家族が約束の時間に連絡してこないという時に「心配になる」のが1次感情で、心配しながら待っていて、やっと連絡があった時に「怒ってしまう」のが2次感情です。本来の心配という感情が、怒りに転じるのです。クレームの際、この表面上に現れる「怒り」を収めようとしがちですが、実は、根底にある「心配した」気持ちを受け取らなければ収まりません。表面上の怒りではなく、奥に潜む本来の感情にアプローチすることが大切です。

 

 そこで必要なのが、1次感情を知ることですが、そのためには、相手に話をしてもらうことが必要です。その際、傾聴スキルが役に立ちます。

 

 基本は、相手に分かるように、はっきりと深くうなずき、言葉で相づちを打つことによって聞く態勢があると示すこと、そして、相手の訴えを言葉で受け止めて、理解したと言葉で伝えることが重要です。単純なことですが、これがとても大切です。

 

 謝罪の言葉や説明も大事ですが、クレームを言ってきた側は、申し出た気持ちや思いをきちんと齟齬(そご)なく受け止めてもらうことを望んでいるケースが多く、その気持ちに対しての理解を示すことができれば、安心感と納得感につながります。気持ちが受け止められたかどうかが、それ以降の状況に大きな影響を及ぼすので、まずは、相手の気持ちに寄り添う対応に徹してください。

 

 しかし、それでも収まらないことがあるかと思います。「誠意を見せろ」など、何に対してどのようなことを求めているのか具体的に分からない、無理な要求を強いてくる、また、暴言や暴力により話し合いにならない場合は、脅迫などの違法行為に当たります。警察への通報を速やかに行うことも含め、毅然(きぜん)とした態度で対応することも必要です。

 

著者プロフィール ◇大野 萌子/おおの・もえこ

法政大学卒。一般社団法人日本メンタルアップ支援機構(メンタルアップマネージャ資格認定機関)代表理事、公認心理師、産業カウンセラー、2級キャリアコンサルティング技能士。企業内健康管理室カウンセラーとしての長年の現場経験を生かした、人間関係改善に必須のコミュニケーション、ストレスマネジメントなどの分野を得意とする。防衛省、文部科学省などの官公庁をはじめ、大手企業、大学、医療機関などで5万人以上を対象に講演・研修を行い、机上の空論ではない「生きたメンタルヘルス対策」を提供している。著書にシリーズ51万部超『よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑』(サンマーク出版)ほか多数。

 


 

トレンド通信

「第二段階に入った世界遺産『熊野古道』のインバウンド戦略」

 

 和歌山県南部、紀伊半島の熊野地方。熊野本宮大社を中心とした熊野三山を結ぶ山中の参詣道が熊野古道です。2004年にユネスコの世界遺産に登録されたことをきっかけに、海外向けの情報発信を強化しました。その結果、今では主に欧州からの旅行客が数多く訪れるようになりました。熊野古道の入り口に当たる紀伊田辺駅の売店や商店街のお店にも、リュックサックを背負ったトレッキングスタイルの外国人が毎日のように訪れています。
 

 熊野古道は、外国人訪日客を誘致するためのプロモーションの代表的な成功事例として知られています。その戦略の中核を担った「田辺市熊野ツーリズムビューロー」の多田稔子会長にお話を伺いました。それまで地元の住民にとっては「ただの山道」に過ぎなかった熊野古道が世界遺産として注目されたことを「これは100年に一度のチャンス」と捉えたそうです。地域のさまざまな受け入れ側の体制整備や英語での海外向け情報発信など、持続的な活動が実を結んだ結果、今のにぎわいにつながっています。
 

 熊野古道は、深い森の中を縫うような細い杣道(そまみち)が何十kmも続くため、全部を歩いて回ろうとすると途中で何カ所か宿泊が必要となります。今では熊野古道に沿った山中にゲストハウスが数多くつくられています。これまで、熊野古道を訪ねる外国人は欧州からの客が多数を占めていましたが、コロナ禍が明けてからはアジア(台湾やシンガポールなど)から訪れる人が増えたといいます。その分の人数が上乗せになった形で、ゲストハウスはいつも満杯となり、京都ほどではないにせよオーバーツーリズムが懸念されるようになってきたそうです。

 

 熊野古道は、もともと京都の白河、鳥羽、後白河、後鳥羽上皇などが、京都からわざわざ何度も熊野を訪ねたことで整備され、世に知られるようになったものです。紀伊半島の山中に入るまでは海岸沿いをずっと南下して進んでいたため、大阪から和歌山県南部に至る途中にも史跡やストーリーのあるスポットがたくさんあります。こうした道中を経て、口熊野(くちくまの)と呼ばれる田辺市までたどり着き、そこで海に入って身を清めてから、山中へ至る道へ向かいました。この海中で身を清めることを潮垢離(しおごり)といったそうです。
 

 多田さんは、山の中のゲストハウスが満杯になってきたことを受けて、「もっと海岸沿いの熊野古道の良さや、田辺湾での潮垢離なども観光体験としてアピールしていきたい」と言います。海岸沿いのルートは、気候温暖な土地柄もあって冬でも楽しめる上、山中よりも道に迷うといった危険も少ないという運営上のメリットがあります。

 

 インバウンド客があふれる地域がある一方で、なかなかうまく呼べない地域もあります。やはり地域の新たな魅力を自ら発掘して、発信し続けるのが王道なのだと感じました。

 

著者プロフィール ◇渡辺 和博/わたなべ・かずひろ

日経BP 総合研究所 上席研究員。1986年筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年日本経済新聞社入社。IT分野、経営分野、コンシューマ分野の専門誌編集部を経て現職。全国の自治体・商工会議所などで地域活性化や名産品開発のコンサルティング、講演を実施。消費者起点をテーマにヒット商品育成を支援している。著書に『地方発ヒットを生む 逆算発想のものづくり』(日経BP社)。

 


 

気象予報士×税理士 藤富郷のクラウドな話

「確定申告の始まりと今」

 

 春先は、確定申告で忙しい季節です。一年間の請求書や領収書などをまとめるのは大変ですよね。自己申告ではなく、国で税額を決めてくれたら楽なのにと考える人もいらっしゃるでしょう。実は、現在の確定申告の制度「申告納税方式」が始まったのは1947年からで、それ以前は国が税額を決定する「賦課課税方式」の形が取られていました。
 

 賦課課税方式においても所得を申告する点は変わりませんが、申告した所得はあくまで参考程度だったようです。地域の有力者が納税者の代表として調査委員に選ばれ、「所得調査委員会」というものが設けられました。この委員会が、同業者全体のバランスを取りながら納税額を決定するという仕組みでした。
 

 転機が訪れたのは、第2次世界大戦後の47年です。GHQの提言の下、米国税制に倣い申告納税方式に変更され、確定申告が始まりました。日本政府においても、自ら税額を決定し納付する申告納税方式は、戦後の税制の民主化や課税の公平性にとって好ましいと考えていたようです。加えて、激しいインフレが起こっていたため、自発的な納税を促す必要もあったのです。
 

 これにより所得調査委員会も廃止になりましたが、新たに自己申告の正確さを測るため、申告書を誰でも閲覧できる「申告書の閲覧制度」、他人の申告書に誤りがあると通報できる「第三者通報制度」が導入されました。通報制度については、報奨金もありました。今では考えられませんね。やはり、この二つはプライバシー侵害や報酬を得るための密告が増えるのは好ましくないと判断され、54年までに廃止となりました。
 

 こうした変遷の中、青色申告制度や記帳指導、税理士制度の導入などの税制改正も行われ、申告納税方式が現在まで続いています。
 

 近年は、マイナンバーカードが普及し、給与所得や医療費などがデジタルデータになってきていますので、給与所得者の確定申告が簡単になりつつあります。
 

 海外に目を向けてみると、特にIT先進国エストニアにおいては、確定申告の便利さで話題に上がります。税務署に多くの申告データが集められるため、すでに記入済みの申告書ができており、修正がなければクリックのみで完了するのです。
 

 とはいえ、エストニアでも事業所得については資料をそろえ、個人で申告書に記入する必要があります。事業所得者はまだまだ大変ですが、年に一度は収入を振り返り、新年度の活力にされると良いですね。

 

著者プロフィール ◇藤富 郷/ふじとみ・ごう

気象予報士、税理士。埼玉県三郷市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修了。大学院在学中に気象予報士に登録。日本テレビ「スッキリ」に気象キャスターとして出演しながら税理士試験に合格し、2016年に開業。21年に越谷税務署長表彰受賞。趣味の鉄道では、鉄道イベント出演や時刻表、鉄道模型雑誌にコラムを寄稿。プログラミングやダムにも造詣が深く、“複業”として得意を組み合わせて幅広く活躍中。地元の「三郷市PR大使」を務めるなど、地域との関わりも深めている。